あの日から
10日が過ぎました

無表情で感情もなく
何も食べず
ただ部屋の布団に1日中横たわる息子

私の目に映る息子

これが本当に私の息子なの?

メンタルクリニックへも
連れて行きました

病院行ってみようか?
の私の問いかけに
多分答えてはくれないと思ったけれど

死ねないなら
病院行くしかないと
答えた息子

あぁ、生きたいんだなと
思った。⁠:゚⁠(⁠;⁠´⁠∩⁠`⁠;⁠)゚⁠:⁠。

でも後から
気がついたんです

息子の壊れた心を治すのは
先生でもなく薬でもなく
母親である私なんだと


私の母は
私が母のお腹にいる時から
重度の躁鬱病でした

私の幼少期〜思春期は
母の病気により
私自身が苦しみもがき這い上がれず
長い間
真っ暗闇のトンネルの中にいた
期間でした

家族に病気の人がいると
周りの家族も病みます

仏様のような父でさえ
人が変わった時期もありました

入退院を繰り返し
自殺未遂もし
私に対して
あなたなんか産まなかったらよかったと
そんな酷い言葉を投げかけていた母が

少しずつ変わってきたのは
紛れもなく
父の大きな愛情と
娘である私の愛情

根本的に変われるのは
人の愛情だと知りました

母が危篤になる2日前
あなたを産んで良かった
ありがとう
と伝えてくれた言葉が
今の私の宝物⭐


母親である私が
何の資格もないけれど
息子のカウンセラーをしています


私が死なずにこれまで
生きてこれたのは

どんな時も
明るく笑顔を絶えず
私に接してくれた父と
私を真っ直ぐな道へと
導き育ててくれた
祖母のおかげです


人は人の愛情で
変われる

そして
我が家には
愛しい4匹の宝物がいて






この子達のおかげで
沢山の生きる力をもらっている


息子が1番酷い時
横たわる息子の布団の側で
何時間も箱座りになり
ずっと見守っていたミルキー

ミルキーは
父の介護猫でもありました


家で排泄しないコロン
散歩は1日4回で
夜の散歩は息子の担当でした

1週間は
その散歩さえ行けなかったけど

今は
コロンの為に
夜の散歩へ行けるまでに
なりました

リビングへも降りて
私の作ったお味噌汁を食べて
笑顔はまだだけど
話しもしてくれるように
なりました


お昼の散歩時
土砂降りの雨の中
コロンを連れて
1回だけのオシッコへ

帰宅しビチャビチャになったコロンを
拭いて
ドライヤーで乾かす時に
息子に手伝ってと頼むと
急いで来てくれて
コロンを抱っこしてくれて
私が乾かしました

愛する家族の為なら
心も身体も動かすことが
できた息子

もう‥
 大丈夫


息子の側には
空と月


息子がぽつりと言いました

この子達は
野良猫だったんよな

だけど今はこうして家族になって
良かったなぁ












生きる意味がわからなくなった時

答えを探そうとしたって

そんな簡単には

見つからない

でも
何気ない
当たり前の日常に

そのヒントが
隠れていたりする

人は幸福感を感じた時
生きる喜びを
見いだせる

幸せの総量を増やすことが
今1番大切なこと

どんな小さな幸せでも
ひとつひとつ拾い集めたら

それは大きな
幸せに変わる


週6で
朝4時に起き
5時に家を出て
6時半から働き
夜は20時に帰宅していた息子

ギリギリまで頑張っていました


厳しい現状から解き放す為に


4月に退職することに
決まりました

有給が22.5日もありました
そんなにあったんだ•́⁠ ⁠ ⁠‿⁠ ⁠,⁠•̀

それを全て使って退職日が決まりました

本人の意志でもあり
私の意志でもあります


長い人生
今はしっかり休息して

心と身体が元気になり
また前を向けた時に

今度こそ
自分のやりたいことを見つけてほしい


私は
側にいて
そっと見守りたいと
思います


この子達の存在が


愛しく
有り難い




いつからだって
やり直しはできる

生きてくれているだけで親孝行

また笑える日が
来ますように


チョコ