17年前に
家を建て替える時

公園側の1番陽当りの良い部屋を
私の両親の為にと主人が設計した

玄関を入ると右にキッチン
そして
リビングを通り
その突き当り左が4畳半
右が6畳間


真ん中の引き戸で
部屋が区切られるように
なっている

春に完成した新築に
やっと住めるようになったのは

年老いた父と
お骨になった母

新しい家に住むのを
1番楽しみにしていた母が
家の完成前に
入院先の病院で
息をひきとりました


抜け殻になった父は
すぐに膠原病を発症し
約10年
この部屋2間続きの部屋で
暮らしました

私は当時
エステサロンへ勤務していて

休みの日には
父を病院へ連れて行きました

病気ではあったけれど
父は自分で歩けていたし
簡単な身の回りのことはやっていた


ある日病魔は突然に
父を地獄に突き落とし
そこから
入退院を繰り返した後に

在宅介護が始まる


私は務めていたサロンを退職し
父を全力でサポートした


要介護5 寝たきり
日常はオムツ使用
排泄はなるべく尿は尿瓶で私が取り
便は訪問看護士さんにより
浣腸で促してもらう
時には長男と二人でポータブルトイレへ
介助したり

私ひとりで介護したのではなく
訪問看護士、ヘルパー、訪問Dr.、訪問入浴
1週間のうち
入れ代わり立ち代わり
人が出入りし
父のサポートが成り立つ

だけどやっぱり
四六時中
メインで介護するのは私。。

細切れの睡眠で倒れ病気になり
入院したこともあった

家族一丸となり
父を支え
自宅からお見送りできたことは
私が父から受けた恩を
親孝行という形で
返せたのかなと思う(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)



父が寝ていた6畳間


今では

猫達の集いの場所に💞


隣の4畳半は
いつ呼ばれてもお世話できるように
私が待機していた部屋

大工だった父が
母の為に作った木製ベッドに
私は寝ていた
母が生きていたらなと
叶わぬ想いを胸に


その部屋は
今、時を経て
こうなっている






ゲージを置いてる場所には
当時、母の祭壇を置いてたなぁ

父のことが大好きだったミルキー
亡くなった日も
足元から離れなかった
生きている時は必ず枕元にいたのに

足元にいたのは
お見送りをしていたんだね

何時間も飲まず食わずで
ずっと寄り添っていた



父がお空に旅立ってから
心にぽっかり穴が空いた私に
自宅でエステやってみたら?と
友人に勧められ
1年後の父の命日に開業

私の足の骨折と
コロナ禍もあり
長くは続かなかったけど

こんな日もあったなと
今では良い想い出になっている
(⁠*⁠˘⁠︶⁠˘⁠*⁠)⁠.⁠。⁠*⁠♡


自宅サロンだった頃
今では月ちゃん部屋に🐈‍⬛





↓↓



父を介護していた部屋は
エステルームから
今では動物達の憩いの場に



↓↓

ごちゃごちゃ💦驚き


部屋の移り変わりに

その当時
どんなふうに過ごしてきたか
どんな思いを抱えて生きてきたか

そんなことを馳せながら

今の日常を
穏やかに過ごしています

🫧




今あるこの日常は
今だけのもの

2度と戻ってはこないから

この当たり前の毎日を

後悔しないように
大切に生きたい







疲れから
また扁桃腺が腫れてしまい
今日はソファーに横になりながら
ブログ書いています✐

動物達のお世話は
待った無し

つくづく健康でいなくちゃと
痛感😣

こんな日に限って
ジュニア組達が🐈‍⬛🐈
色々やらかしてくれる(・・;



それでは
また
ふとん1ふとん3👋