今朝は風がきつく涼しい朝でした

皆様地方…台風の影響は大丈夫でしたか?

こちらは少し晴れてきました晴れ


今日は私の父のことを綴りたいと思います
最後までお付き合い
宜しくお願いいたします✨


先日の夕方、コロンと一緒の散歩道

風に乗り 私の前にふとなびいてきた木の香り

それはまだ建築途中の家🏡

木の柱や木くずまでが懐かしい


両親2人共が聴覚障害者だった私は
小学1年生の時の帰り道
ランドセルに同期生から石をぶつけられ
泣きながら早歩きして帰ったあの日


家から学校迄の距離がクラスの中で1番遠い地域に住んでいたので、普段でも遠く感じるのに
この日はよけい距離を感じて
小さな体で必死に頑張って歩いて帰ったことを
今でも覚えています

石をぶつけられたと同時に
私に浴びせられた言葉…
“おまえの親は「つんぼ」ー!”笑い声も入り交じっていました

大人になったなら絶対に言い返すことはできるけど
あの頃の私は…できなかった
どうして自分だけが…と。ずっとずっと思っていた

当時は、今と違い障害者に対する偏見や差別も少なくはありませんでした


私の父は大工さんでした
耳も聴こえず喋れないので、手に技術をと
私の育ての親の祖母が父に奨め
大工さんになりました

小学生だった私が
学校の帰りにまっすぐ家に帰らず
真っ先に寄る場所は…父の働く木工所
私の家からほんの数分の距離にありました

あの日も私は
どうしても父に逢いたくて
真っ先に向かった木工所

仕事中の父は少し手をとめて
いつもの笑顔で私を迎えてくれました





この家は元実家で、今はもうありませんが
当時、増築する時に父と父の知り合い2人で建てた家
↓↓




コロンと一緒の散歩道
木の香りと共に
そんなことを思い出した夕暮れ時🌆


家に帰り、父が大切にしていた
大工道具箱を久しぶりに開けてみた

遺品整理の時に大量にあったノコギリ等は
リサイクルショップで処分しましたが
“カンナ”だけはどうしても処分できず
今も手元に置いています

父が大切にしていたカンナ


小さな木工所が閉鎖し
50代を過ぎた頃に
銀行の現金センターで9年頑張って働きました
(機械を使ってお金を数え束ねる仕事です)


耳が不自由でも
心はひとつも不自由ではなかった父

健常者の人達の中に交じって働き
いつも笑顔で
みんなから愛されていた父でした


銀行の退職祝いにて
社員の皆様と🍻



両手ピース✌️が父



真ん中が父

どんな時も明るく笑顔を絶やさない父
私は父の涙を見たことがなく
私の結婚式の日にも泣かなかった父が
一度だけ…
泣いた日がありました

それは
私の母が亡くなった日


母は私が生まれる前から長い間
心の病気でした
それはそれは本当に言葉では言い尽くせない程の色々なことがありました


そんな母を一生涯愛し
傍で支え続けた父は立派だと思います

母の介護ベッドは
父がホームセンターで木を買ってきて
母の身長に合わせて作りました✨


人は行き詰まった時
誰でも逃げ場は必要で
それがあるかないかでは随分違う


私にとって
私の1番の安全基地は
木の香りがする父がいた場所

🍃

いまだにその香りを嗅ぐと
思い出すのです
優しかった父のことを…


ずっと元気だった父も
晩年は病気になり
お空へ旅立ってしまったけど
今も空を見上げる度に
逢いたい気持ちが募ります


ひとり娘の私は
父の希望通り、念願の自宅から
見送ることができました

父が亡くなったときに
お世話になった訪問看護士さんへ
宛てた手紙です




私は…五体満足に生まれた奇跡を
感謝しながら生きてきました

両親が発せられなかった声、聴こえない闇の中
それは本人にしか分からない苦しみ

聴覚障害者の子どもとして生まれた私は
音が聴こえる
言葉を喋れる
歌を歌える喜びを
人一倍噛み締めていたのかもしれません


私が早くに嫁ぎ
残された両親の耳になってくれたのは
私が当時高校生の頃に拾ってきた
黒猫の愛ちゃんと、愛ちゃんの子ども太郎でした

本当に両親をずっと支えてくれました

私が地域猫にエサやりをしているのは
猫に恩返しがしたいからです





私はまだまだ頑張って生きるから

お空からそっと

見守っていてね



台風が去った今日の空


長文になりました🙇
読んで頂きありがとうございました

それまでは
またヾ(´ー`)ノ💕