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2019年4月22日。

 

ももクロライブ『春の一大事(春一) in 黒部』2Daysの翌日。

 

早朝、富山県魚津市のホテルを出て、北アルプス立山連峰の麓、立山駅へと向かった。

 

日本三霊山、立山山頂の雄山神社でももクロと春一のより良い未来を祈願するために。

 

立山駅からケーブルカーで美女平駅まで、そこからシャトルバスで登山拠点、室堂平(標高2450m)まで行き、そこから3000mの頂上までの雪山単独行。

 

立山駅の駐車場に車を置き、登山装備で身を包んだとき、その車に乗って、埼玉の家に帰ることが叶わないことをまだ知らない。

 

 

※室堂平からのツイート

 

 

※立山主峰 雄山への経由地、一の越山荘への道中からのツイート

 

 

※立山主峰 雄山頂上からのツイート

 

 

山頂で北アルプスの絶景を見ていたときに既に体に異変を感じていた。経験したことがないような圧迫感に襲われ、不安を感じ、山頂でしばらくゆっくりする予定を切り上げ、すぐに下山を開始、、、、

 

 

、、、、バスターミナルがある室堂平がとにかく遠かった。

 

 

麓の立山駅に行くための最終便のバスに乗ったのも全く覚えていない。ターミナルでバスを並んで待ちながら、少し気持ち悪くなって来たなぁ…。

 

 


それが心肺停止で倒れる前の最後の記憶。

 

 

その後の自分に起こったことは、全て伝聞で知ったこと。

 

 

※北日本新聞2019年5月23日の記事から

 

 4/22㈪ 19時頃

富山市民病院へ搬送後も、呼吸と脈は安定してきたものの、30分間の心停止による低酸素脳症で全身のけいれんが酷く、意識不明の状態が続く。

 

同じ頃、救急隊員が私のスマホで埼玉の家族へ第一報。生年月日、病歴、登山歴などを確認し、生死に関わる緊迫した状況であり、次の連絡があるまで待機するよう伝える。

 

20時半頃、富山県警、室堂警備派出所から私の旅の日程等の問い合わせの連絡を家族が受ける。

 

21時頃、富山市民病院から家族へ「病院へ来て下さい」と連絡あり。

 

 翌朝 4/23㈫ 5:20

埼玉から夜行バスで家族が病院へ到着。

 

ICU(集中治療室)に入室した家族が泣き叫びながら呼びかけると意識が戻り、目を開けて、しばらく状況が分からず、宙を見ていたという。その後、家族を認識して、かろうじて言葉を発したが、手がとても冷たかったらしい。

 

  4/24㈬

ICUから移されたのは脳に重たい障害を持つ患者の方々専用のフロア。低酸素脳症による脳機能の低下からの回復に時間が必要だった。

看護師さんから今日の日にちやここがどこかと確認されるも

「21日か22日…(※春一2日目)」「今いる場所は分からない」と答えたという。まだ、ゆっくりとしか話せない状態。

 

  4/25㈭

家族から立山で心肺停止になった後の詳細な状況説明を受けた。

 

もし、周囲に誰もいない場所で発症していたら、間違いなく、遺体となって発見されていたことだろう。遺留品から、

「ももクロライブで富山を訪れた男性、北アルプスで遺体で発見」と報道され、成功裏に終わった春一黒部に大きな傷跡を残してしまっていたのだろう。ももクロちゃんやモノノフの皆さんに取り返しのつかないご迷惑をかけるところだった。

 

ベッドで病室の天井を見つめながら、そんなご迷惑を何とか避けられて、大きく安堵したのを覚えている。

 

  4/26㈮

意識回復後、脳機能の回復を測るために医師から受けていた認知検査。

「100から7ずつ数字を引いていってみて下さい。」

始めの頃は

「……93?…??」

まともに答えられなかった引き算が、この頃になると

「93、86、79、72、~」

格段に回復を見せていたことから、安心した家族からスマホを手渡してもらう。

勤務先へは既に家族から状況説明とお詫びの連絡を入れてもらっていたが、自分からもお詫びの連絡を入れる。ここから4ヵ月弱の休職をすることになる。

 

  4/27㈯

立山頂上からの先の動画ツイートは、この日、あのときの感情を思い出して投稿したものだった。場合によっては、遺留品のスマホの中に眠り続けることになる動画だった。

 

  4/28㈰~5/11㈯退院

あの日、この身に起こったのは、心室細動という致死性不整脈。

 

調べれば調べるほど、ゾッとした。

突然、心臓が痙攣状態になり、血液を送る機能が停止する病気(いわゆる心臓麻痺、ぽっくり病)で、発症すると10秒で意識を失い、5~10分で死に至る。心臓を蘇生させる唯一の方法が、その限られた時間内にAEDで心臓へ電気ショックを与えること。(※自動体外式除細動器)

 

なぜ、発症してからAEDで電気ショックを与えるまで30分もかかった自分が今、生きているのか。30分間諦めずに救命処置をして下さった皆様には感謝してもし切れない。

 

 

発症した場所が良かったこと、バス内に自分以外でたった一人日本人乗客がいたこと、その方が救命の専門家だったこと。後日、お礼の電話をさせて頂いたときに伺った話だと、その方は当初、別の便に乗車する予定だったが、急遽、同じ便になったとのこと。奇跡が重なって、再び命を与えて頂いた。

 

「よくご無事でいられましたね」

「脳の断面図にも全くダメージが残ってないですよ」

富山の病院でも、後にお世話になる埼玉の病院でも、医師が口を揃えて、仰った言葉。

 

 

 

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令和になる瞬間は富山の病院で迎えた。この頃に公開された「The Diamond Four」のももクロちゃんが格好良くて、頼もしくて、ずっとMVを見ていたのを覚えている。病気の再発への不安もそんなときは忘れられた。

https://www.youtube.com/watch?v=f-mKBpNsuCU

 

行くはずだった『JAPAN JAM 2019』はベッドの上でももクロちゃんの活躍を知ることになる。百田さんの「あん飛ば」での「地獄に落ちろー!」の煽り、生で聞きたかったな。

https://www.youtube.com/watch?v=2DEN7ZwJkAg

 

 

富山市民病院から見える北アルプスはいつも美しかった。毎朝、フロアで一番よく見える場所へ行き、眺めるのが日課となった。心が洗われる瞬間だった。あの地で一旦命を奪われたというのに。

 

 

5/11㈯、退院。

富山に戻って来てくれた家族に付き添われて、救命処置をして下さった方々へお礼回りに、再び立山の麓へ。

 

 

3週間にも及んだ長い長い富山滞在はこうして終わった。

 

 

 

再び、富山を訪れるのは心の整理がついてからになるのだろう。

 

 

 

 5/12㈰~8/2㈮

 しばらく自宅療養したのち、いつ再発するか分からない、この病気への対処として、体内にICDを埋め込む手術を受けることに。(※植込み型除細動器…心臓の動きを体内で常時監視し、心停止を感知すると心臓に電気ショックを与え、蘇生させる機器)

 

7月下旬に無事、手術を終えて、退院。

 

それに伴い、障害者手帳を持つ身となった。

 

そして、とうとう3ヶ月半ぶりの現場復帰へ。

 

 

 8/3㈯〜8/4㈰

 まだ傷口に大きくて分厚いガーゼをつけたまま、酷暑の中、汗が傷口に入ってしまわないかドキドキしながら、でも、どうしても行きたかったももクロマニア2019、西武ドーム。

 

自分にとって、春一黒部は、モノノフとしてでなく、死に至る不治の病の患者として、終えることになってしまった。そんな自分にとって、新たに発表された福島での『春の一大事』がとても眩しく、希望に満ちたものに見えた。

 

 

 

 2019.8〜2022.4/22㈮

 発表から開催までの二年半ちょっと、何度も福島に足を運んだ。前回の春一での大きな失意を埋めてくれるのがこの新たな春一の旅への衝動だった。

 

モノノフが訪れることで少しでも復興のお役に立てるのなら。あの日、春一の歴史に大きな傷跡を残してしまいかねなかった贖罪にも衝き動かされながら。

 

※2019.10.5 ふたばワールド2019 in Jヴィレッジ (ももクロ出演なし)

 

※2020.1.25 楢葉町 天神岬温泉しおかぜ荘にて

 

※2022.4.16 広野町 二ツ沼総合公園にて

 

※2021.11.20 広野町 居酒屋 元気百倍さんにて

たまたま居合わせた楢葉町町議会議員さんへ春一開催へのお礼を伝える

 

※2019.10.20 避難された方々の思いを知りたくて、浪江町町政懇談会(福島県二本松市安達文化ホール)へ参加

 

※2019.11.9 浪江町中心街の様子

 

※2019.11.23 震災遺構になる前の浪江町旧請戸小学校

 

※2019.11.23 自分の手で、この地を訪れても問題がないことを確かめたくて、浪江町役場前にて、ガイガーカウンターで放射線量を測定[0.072マイクロシーベルト/h]

(国が除染が必要だとする年間基準の毎時換算が0.23マイクロシーベルト/h)

 

※2019.11.23 浪江町なみえ創成小中学校にて[0.079マイクロシーベルト/h]

 

 

 

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※2020冬 浪江町 請戸川リバーライン

 

※2022春 浪江町 請戸川リバーライン

 

 

 

 

 

 2022.4/23㈯

コロナによる二年の延期を経た、春一福島初日。

「Overture」がJ-VILLAGEの澄んだ青空に高らかに鳴り響いた。

 

※川上マネージャー ライブ放送ツイートから

 

とうとうここまで生きて辿り着けた万感の思いを忘れることは出来ない。それは見届けられるはずのなかった春一の未来だった。自分にとって、春一とは「生」を実感する場所であり、生きている証。

 

 

 

 

 

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 2023.4/22㈯

そして今日、この広島県福山市で新たな『春の一大事』に臨む。  

 

神様に再び命を与えて頂いた理由を探しながら、生きる証を求めて。

 

  『春の一大事』黒部遠征で命を落とした先にあった希望は今もこの目の前で続いている。

 

 

※ももクロ春一仕様の福山城

 

 

 

 

 

ちょうど、あの日から丸4年が経っていた。

 

 

 

 

 

 

長文をお読み頂き、ありがとうございました。