2022年5月9日。
ももクロ春の一大事2022から2週間が過ぎた小雨降る福島県浪江町、道の駅なみえ。
約束の15:00に館内の事務室へ伺うと女性事務員さんが案内して下さったのが大会議室。
少し待った後に入って来られたお方は、
道の駅なみえのGMであり、道の駅なみえを運営する一般社団法人まちづくりなみえ※の代表理事をされている菅家清進(かんけせいしん)さん。
[※浪江町の再生、復興を目的とし、住民主体のまちづくり事業を行う団体。2018年1月22日設立。発起人 浪江町、馬場有。]
お会いするに至ったきっかけは、
…2019年8月4日、MomocloMania2019@西武ドームにて翌年の春の一大事(春一)2020 楢葉・広野・浪江 三町合同大会の開催が発表された。それ以降、三町の方々のSNSを拝見していく中で見つけたのが菅家さんの春一応募当事者としてのFacebookでの一連の投稿。
2019年8月4日投稿
「ももクロ春の一大事2020 J - villageを会場に、楢葉、広野、浪江町の合同開催! 想い叶いました。やったぜ〜〜!準備が一大事なのは、明日、考えよう。」
返信「ももクロのサプライズは、まだまだ続きます。」
2019年7月9日投稿
「七夕の短冊に願い事をしました。8月4日に結果が出ます。
双葉郡活性化の起爆材になると確信してあと少し頑張りますか。
どちらにせよ、一大事ですね笑」
FM Mot.com(福島県本宮市)ディレクターからの返信
「おお。2回目の挑戦ですね。ご検討を祈ります!私も地元で1回挑戦し見事に惨敗。遠くからお祈りいたします。」
返信「3年目の奇跡おきないかなー。まあ、当たるまでchallengeします笑」
2019年7月8日投稿
「まる2年かかりましたが、故馬場浪江長から頼まれた、帰還した町民も町外に避難している町民も、均しく楽しめるイベントを企画して欲しい。町中に笑い声が溢れている景色が見たいと。
失敗できないミッションが続きますが、頼りになる仲間達と楽しみながらお題をクリアして行きます。」(原文ママ)
返信「ありがとうございます。2020に向けて手加減無用、全力疾走と有さんから命を受けてますので、3年間仕込んで育てて来た矢は、あと2本あります!!」
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春一2020の開催地が決まってから抱いた疑問は、会場になるJ-VILLAGEは春一の募集要項※にある「ご提供いただける会場・土地が自治体所有もしくは自治体の直接の管理下にあること」という条件を満たしていないということ。(三町いずれの管轄下でもなく、福島県の管轄[運営は株式会社Jヴィレッジ])。
※春一2020募集要項(ファンクラブ会員専用サイト)
https://fc.momoclo.net/pc/information/?id=4933
それでも、ももクロサイドがこの三町を選んだ特別な理由、とりわけJ-VILLAGEから遠く離れた浪江町を選んだ特別な理由とは一体何なのか。
菅家さんの一連の投稿から窺える浪江町の復興への思い。その思いに応えることこそが、浪江町が選ばれた特別な理由ではないか。
2011年3月の東日本大震災での福島第一原発事故による放射能への不安と生活基盤が整わないことで町民の帰還がままならない町に笑い声を溢れさせたい。
町の復興を見届け切れないまま亡くなった馬場前町長※[在任2007年12月~2018年6月]のそんな復興への思い、それを受け継いだ菅家さんの思いを春一後に伺ってみよう。それから2年半以上の時を経て、ようやくその機会は訪れた。
菅家さんから伺ったお話と私見を以下に時系列に記していきます。また、SNSで伝えることに関して、ご本人から承諾を得ています。
2018年春 春の一大事2019に浪江町単独で1度目の応募
2017年3月末、帰還困難区域を除き、避難指示が解除され、6年ぶりに町民の帰還が実現して以降、馬場前町長が町の復興のために菅家さんに託したものの中に、浪江町民を笑顔にするイベントを開催することと町内に住む子供の数を少しでも多くするということがあった。
菅家さん
「馬場さんが仰ったのは、今、町に戻って来たのはほとんどが高齢者ですが、なぜ戻って来たかというと、それは子供の頃からこの町で育ってきた“愛郷心”があるから。だから子供の存在は大事ということなんです。」
「ライブを誘致するにあたって、AKBに依頼する選択肢もあったんです。ただ、ももクロは幅広い世代に支持されている。お年寄りからも支持され、何よりも子供から支持されている存在ということで、この町に合うと私が判断して、ももクロさんに依頼することにしたんです。」
「私が 『春の一大事』の概要を馬場さんに伝えたら、「すべて任せる」と言っていただいて、この件を進めていったんです。」
私
「馬場さんはももクロのことはご存じだったんでしょうか?」
菅家さん
「いやぁ、知らなかったと思います(笑)」
それでも、このときが馬場前町長とももクロの両者が交差した最初で最後の瞬間だったのだろう。それから間もない6月27日、馬場前町長は闘病の末にお亡くなりになる。
2018年8月 春の一大事2019落選 開催地は富山県黒部市に
2018年12月 ももクロサイドにライブ開催を手紙で依頼
「春一とは別にももクロさんにライブ開催をお願いしようとして、大柿(産業振興課 大柿光史さん※2022年4月他部署へ異動)に手紙を書かせたんです。」(名義は吉田現町長)
ももクロ誘致にあたっては、菅家さんが大柿さんに指示を出して、二人三脚で進めていったらしい。菅家さんも以前は町役場 産業振興課に勤務していた。まちづくりなみえと産業振興課は組織横断的に連携しているのだろう。
「元々、浪江町は松崎しげるさんと関係を持っていたんです。松崎さんとももクロさんがお知り合いということで、松崎さんにお願いして、手紙をももクロサイドに渡して頂きました。」
これが2020年3月のNHK『人気アイドル 浪江町の復興に一役』放送内でも紹介されていた手紙のこと。ももクロが大切に育んできた松崎さんとのご縁から新たなご縁が芽吹いていった瞬間だと思うと感慨深くなる。
2019年3月11日 ももクロがなみえ創成小・中学校を訪問
「川上さん(ももクロチーフマネージャー)の方から3月11日に浪江へ伺いたいと仰って頂いたんです。」
訪問場所はなみえ創成小・中学校。
前年2018年4月の開校式に馬場前町長は入退院を繰り返す病身を押して出席し、祝辞を述べている。
馬場前町長
「本日、子供たちの生きる力と夢を育み、地域の未来を切り開く学校、なみえ創成小学校、なみえ創成中学校を開校します。」
※なみえチャンネル第116回から
https://www.youtube.com/watch?v=K9e8cc7_cXg&t=178s
「我が故郷 浪江町にもついに子供たちの笑い声が戻ってきました。嬉しくて仕方がありません。今日は記念すべき浪江町の復興の大きな、大きな第一歩です。」
震災前、町内に約1700人いた小中学生は、町内で唯一になるこの小中学校の開校時に10人(小学生8人、中学生2人)のみだった。
「今はまだ児童や生徒の数にそれほど意味はありません。子供たちがこの町に戻ってきてくれた。その事実こそが大きいのです。」
※三浦英之 著『白い土地 ルポ 福島「帰還困難区域」とその周辺』から引用
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?jdcn=42031090902013000000
ももクロの学校訪問は、馬場前町長の遺志でもある「子供の存在が大事」という文脈の中にもあるのだろう。馬場前町長が亡くなって、8ヶ月半が過ぎていた。
※なみえ創成小学校・中学校ブログから
https://namie.fcs.ed.jp/blogs/blog_entries/view/31/41fbe8915595214745b7e1c5760207c7?frame_id=113
川上さんはこの時点でこんなことも言っていたという。
「川上さんはもう、すぐにでも浪江でライブをすることはできると仰って下さったんです。」
「ただ、すぐにはこちらの準備がまだ整っていなかったんです。」
浪江町の復興への思いに対する川上さんのこの本気の姿勢が、あーりん率いる浪江女子発組合(JA浪江)の結成、JA浪江とももクロの十日市祭2019出演に繋がっていく。
それは学校訪問時に撮り、4月6日のなみえ春まつりで公開されたももクロからのメッセージにも窺える。
「もっと浪江町の事知りたい。」
「またここに来て何かしらの形で皆さんにお届けできるよう、待ってて頂けたら。」
※なみえチャンネル[福島県浪江町公式]から
https://youtu.be/OLxMAVVBv9Y?si=WNpwW_59LOx6tAzu&t=99
そして、前例のない春一開催地選出にも繋がっていく。
2019年4月 春の一大事2019 in 黒部市開催
2019年4~5月 春の一大事2020に浪江町単独で2度目の応募
春一の募集要項に沿って、浪江町は前年に引き続き、会場を浪江町内に想定していた。
「場所は請戸漁港にある広い土地か浪江町スポーツセンター(十日市祭2019開催場所)のつもりでいました。」
ここでも、ももクロサイドは浪江町の思いを汲み取ろうと動いてくれた。
「川上さんの方から会場は浪江町でなく、J-VILLAGE※で、と提案して下さったんです。」
※[震災後、原発事故の対応拠点となっていたが、2019年4月に全面営業再開したばかり]
私
「それはキャパやアクセスの関係からなんでしょうか?」
菅家さん
「そうだと思います。」
私
「J-VILLAGE側(福島県側)との会場の無償使用についての交渉は菅家さんがやって下さったんでしょうか?」
菅家さん
「それは楢葉町さんの方で音頭を取って、やって下さいました。福島県側も春一を行うことで経済的に大きなメリットがあるので引き受けたんだと思います。私も個人的に県との関係を持っていた、というのもありました。」
ここに浪江町の復興への思いに端を発した特別仕様の『春の一大事』開催が方向づけられた。
過去3回の春一は 〈主催 スターダストプロモーション〉に加え、〈共催〉に必ず開催自治体がクレジットされていたが、今回だけは 〈共催〉が付かない、スターダストプロモーション単独開催となったのはそういった事情なのだろう。
※春一2017特設サイトから
https://www.momoclo.net/haruichidaiji2017/
※春一2018特設サイトから
https://www.momoclo.net/haruichidaiji2018/
※春一2019特設サイトから
https://www.momoclo.net/haruichidaiji2019/
※春一2022特設サイトから
https://www.momoclo.net/haruichidaiji2022/
2019年8月4日 春の一大事2020 in 楢葉・広野・浪江開催決定
2019年8月10~11日 なみえ夏まつりにて、ももクロの11月浪江ライブサプライズ発表
※画像はザキ@T:DFさんのツイートから
https://x.com/momomosumomo517/status/1162433899827347456?s=20
後にこのライブが復興なみえ町十日市祭であることが明らかになり、当日にはJA浪江の誕生が発表され、初お披露目されることに。いよいよももクロ、あーりん達による浪江町復興支援が動き出した。
2019年11月 復興なみえ町十日市祭
※浪江女子発組合Instagramから
https://www.instagram.com/p/B5aZLgmJi5S
JA浪江、ももクロのステージの前に吉田現町長は挨拶の中で現在の町の活動状態を「町残し」の段階と悲壮な言葉で表現した(同志である馬場前町長から受け継いだ言葉)。震災以降6年間、全町避難で人口0人という消滅危機を経験したこの町は「町おこし」の状態にすら至っていないということ。
それが2020年に入ると吉田町長は町の現状が「町残し」から一歩進んで「持続可能な町づくり」の段階に入ったと仰っている。ここに震災以降の当面の悲願だった「町残し」は達成された。
ももクロ、JA浪江、そしてモノノフ(ももクロファン)が2017~2019年にわたる浪江の「町残し」期の集大成の時期に如何ばかりかでも貢献ができていたらと切に願う。
※ももりこぶたZのツイッターから
https://twitter.com/momorikobuta517/status/1198785976123846657?ref_src=twsrc%5Etfw
2020年8月 道の駅なみえプレオープン2021年3月 道の駅なみえグランドオープン
町の復興が新たな段階に入ることで、町は交流人口※の増加を図るようになる。[※観光などで一時的にその地域を訪れる人]
道の駅なみえはグランドオープンからの1年間で48万人が来場した。
「交流人口を少しでも増やすことで、そのうちの何千分の1,何万分の1の人でも浪江に住むようになって頂ければと思っているんです。」
それが浪江に住む子供たちを増やすことに繋がる。
「だからファンの皆さんが浪江に来て下さるというのはとてもありがたいことなんです。」
道の駅なみえのポケモン「ラッキー公園」やJA浪江の定期大会などで町外の子供たちが浪江を訪れ、浪江に親しむこともまた未来に繋がる。
※浪江女子発組合 Official Channelから
https://www.youtube.com/watch?v=pC1MRvKAKQU&t=235s
2年延期された春一を目前に控えた2022年4月6日。なみえ創成小・中学校は新たに小学校4人、中学校3人の新入生を迎えた。4年前の開校時に10人だった小中学生は39人にまで増えていた。
2022年4月23日~4月24日 ももクロ春の一大事2022〜笑顔のチカラ つなげるオモイin 楢葉・広野・浪江 三町合同大会〜
2022年4月23日 『夜桜を見る会~花火大会~』in 浪江
J-VILLAGEでの春一初日ライブ後に場所を浪江に移して行われた花火大会。
至近距離で夜空に舞う打ち上げ花火に感激するももクロちゃんと4人に挟まれるように座る吉田町長。
町民に笑顔を、浪江に子供を。馬場前町長の遺志は吉田町長、菅家さんがそれぞれの立場で受け継ぎ、この『夜桜を見る会~花火大会~』で一つの到達点を得たのだと思う。花火が一人でも多くの町民の方々の目に届き、笑顔がもたらされたなら、このイベントがこの地で行われた意義があるというもの。
れにちゃん
「(花火をご覧になって) 町長はいかがでしたか?」
吉田町長
「久しぶりに楽しみました。」
着席する土手ではモノノフの親御さんと一緒に何人ものチビノフちゃん達が花火を見上げていた。
※うけどんのツイートとTikTokから
https://twitter.com/ukedon_namie/status/1519619572428845057?ref_src=twsrc%5Etf
それから9日後の5月2日、今期限りの退任表明会見で吉田町長は
「復興が道半ばの中で課題は多いが、私の役割はしっかり果たせた。これ以上は務めることができず申し訳ないと(馬場氏の墓前に)報告したい」と述べられている。(退任理由は高齢による健康への不安)
※福島民友新聞から
https://www.minyu-net.com/news/senkyo/FM20220503-701515.php
恐らく『夜桜を見る会』の時点で今季限りの退任の意向は固めていたのだろう。幸いにも斜め後方に座っていた私は花火を静かに見つめる吉田町長の横顔を何度も気になって見ていた。その心中に去来する思いは如何なるものなのかと。
吉田町長が花火を見つめる川の向こうのほど近いところには、馬場前町長のお墓があった。
お話の最後に菅家さんに
「浪江町を今後どのような町にしたいと考えてらっしゃるんでしょうか?」
と伺うと、
「皆さんが一度行ってみたいなと思って頂ける町にしたいなと思っています。」
と仰られた。そのお言葉には穏やかな表情ながら強い意志も感じられ、もはや「町残し」期の悲壮な空気は菅家さんとのお話の中から感じることはなかった。
「JA浪江もてっきり春一までのものだと思っていたんです。」
「それがプロデューサー※が春一が終わっても続けたいと仰ってくれたんです。」
※菅家さんはあーりんのことを「プロデューサー」と呼んでいらした。
馬場前町長の復興への思いは、町を動かし、ももクロサイドをも動かし、モノノフを巻き込んで、『夜桜を見る会』最後のあーりんから吉田町長への返礼
「今後ともよろしくお願いします」
という言葉にとうとう帰結した。
6/26(日)にはJA浪江の定期大会が初めて町の復興の象徴である道の駅なみえで行われる。
ももクロ『祝典』ツアーファイナル翌日の定期大会開催であることから、菅家さんがももクロサイドを心配し、川上さんに「大丈夫ですか?」と確認すると「大丈夫です!」との力強い返答があったという。そこにはあーりんの意志もきっと含まれているのだろう。馬場前町長から繋がった思いを胸に浪江の輪を広げていこうと。
これからも、ももクロちゃんは誰かの切なる思いをこうして繋げていくのだろう。それをファンとして微力ながら応援し続けたいと思う。
菅家さんとの40分ほどのお話の中から、特にももクロ、JA浪江と関連が深いお話を抜粋して、私見を交え、記したものが以上となります。なお、菅家さんご自身はあまり表には出ずに裏方に徹していたいと仰っています。
吉田町長は勇退されることとなり、大柿さんは部署を異動されました。吉田町長と大柿さんのこれまでのご尽力に心より感謝申し上げます。
最後に、菅家さん、そして、大柿さんの後任の新たな担当者様。ももクロ、JA浪江をどうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
以上
個人的なことを少し。
こんなにのめり込んだ春一は初めてだった。それは原発被災の地で多くの方々に笑顔を届けるというももクロちゃんに課された使命があまりにも難しいもので、少しでもそのお手伝いをしたいという私の勝手な思いからでもあるが、前回の春一2019黒部への旅で、この身に降りかかった不幸も大きく影響している。
個人的なことですが、春の一大事に思うこと。
— ミズー (@guitarhynoff) April 22, 2023
『『春の一大事』黒部遠征で命を落とした先にあった希望』 https://t.co/LylSttb3I7
これで私にとっての長い長い春一2019~2022の旅もひとまず終わりを迎えられる。