素朴な疑問「聖書の日本語」 | 前世が出てきてコンニチハ

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ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

皆様、こんにちは。蒲田乃セイウチです。新しく「素朴な疑問シリーをブログテーマに追加しました。
前回は「お受験の服装」でした。





本日のお題は「聖書の日本語」。
先日、義妹の赤ちゃんの洗礼式があり、ウプサラという古い大学都市まで週末、電車で行って参りました。

今のスウェーデン人で、キリスト教に熱心な人ってあまりいないと思うのですが(少なくとも私の周囲には。隠れキリシタンがいたりして。踏み絵を置いて試してやろう)、子供の洗礼というのは慣習でやる人が多いです。

うちの子供達もやりました。旦那は反対していましたが、義母がやりたがっていたので私が旦那を説得しました。

信心の「し」の字もないような人でも賛美歌は歌えるし、お祈りの言葉っていうの?も言えるのです。どこで習うんだろうか?
義弟に、
「どこでお祈りの言葉習ったの?」
って聞いたら、
「フン」
と無視されました。そんなに話題にするのも嫌な「お祈り」が言えるのが更に不思議です。ま、それが慣習というものなんでしょうか。
でも日本人で「慣習」でお経を唱えられる人っていないですよね?

今でも小学校の終業式は近所の教会で行われます。12月の終業式の時は時期的に「きよしこの夜」などクリスマス系の歌を歌いますが、基本的に宗教色は一切ありません。昔の名残の慣習なんでしょう、きっとこれも。

氷川きよしのファンのオバチャンだったら、「きよしこの夜」と聞いて「氷川きよしこの夜。ムフフ
」などと思うものなのでしょうか?きよしこの夜、新宿コマ劇場で光ります!

話を洗礼に戻しますが、私は賛美歌もお祈りも出来ませんが、洗礼の会場だったウプサラ大聖堂の中で、お坊さんから渡された賛美歌の本をパラパラめくっていた時、とても不思議に思うこことがありました。

「何故聖書の日本語は、ああも理解不能に難しいのか?」

高校生の時、クラスメートに借りて聖書を読んだことありましたが、最初の3ページくらいまで必死に読んで寝落ち。聖書が枕になっていたような、、、。

だって何書いてあるのか分からない。コトバが!「主」っていう言葉も聞きなれないというか、普段使わないですからねぇ。
あと聖書は文化背景的に仕方ないのですが、やたら「パン」が出てきてとても美味しそうです。私は中東の平たいパンが大好きなので、食べ物が美味しそうな聖書は、基本読むのがツライかも(凄い理由ですが)。

スウェーデン語の賛美歌や聖書は、私が見た限り現代語訳になっていて、普段庶民が使う言語が用いられているので「何言いたいんだか分からない」ということがなく、パラパラとめくっただけでも「この本が何を書いているのか」が一目瞭然に分かります。

大体教会に残っている、何百年も前のデンマーク語で書かれた石碑のオコトバ?の方が、聖書の日本語よりずっと言いたいことがよく分かるって、変ぢゃないか?
いかに聖書の日本語が、普段市井の民草が使う言葉からかけ離れているということだと思います。

聖書翻訳のいきさつなど詳しいことは分からないのでエラソーなことは言えませんが、言葉分かんないものは分かんないです。

日本人で日本語の聖書読んでクリスチャンになった人って、その国語力、読解力が凄いと思うぞ!