現代において、全てを支配している考え方は、自己実現であろう。
つまり…「なりたい自分になりなさい」
「あなたのしたいことをしなさい、それが世界のためにもなる」
という考え方が、今の世の中を完全に支配しているということだ。
資本主義がそういうものであるし、
宗教も、教育もそう。
最近流行りの、スピリチュアルや、自己啓発などその最たるものだ。
しかし、キリスト教は違う。
「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきない。」
つまり、自己否定を言うのである。
だから、現代では、キリスト教は力を持てない。
しかし、自己実現と自己否定、どちらが真実かと言えば、
自己否定が真実なのは、明らかだ。
何故なら、自己実現が目指すところは、
結局
「あなたは、神になれる。神になるべきだ。」
というところだが、これは、明らかに嘘だからだ。
それに、「なりたい自分」とやらや「したいこと」なんてのも、幻想に過ぎないからだ。
そんなものは、ただの病的な症候に過ぎない。
ただ、クリスチャンの中でも、教会においても、
時に自己実現という考え方に支配されてしまう事を思うと、
真実を歩むことが、どれだけ難しいのかということなんだなぁ。
つまり…「なりたい自分になりなさい」
「あなたのしたいことをしなさい、それが世界のためにもなる」
という考え方が、今の世の中を完全に支配しているということだ。
資本主義がそういうものであるし、
宗教も、教育もそう。
最近流行りの、スピリチュアルや、自己啓発などその最たるものだ。
しかし、キリスト教は違う。
「自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきない。」
つまり、自己否定を言うのである。
だから、現代では、キリスト教は力を持てない。
しかし、自己実現と自己否定、どちらが真実かと言えば、
自己否定が真実なのは、明らかだ。
何故なら、自己実現が目指すところは、
結局
「あなたは、神になれる。神になるべきだ。」
というところだが、これは、明らかに嘘だからだ。
それに、「なりたい自分」とやらや「したいこと」なんてのも、幻想に過ぎないからだ。
そんなものは、ただの病的な症候に過ぎない。
ただ、クリスチャンの中でも、教会においても、
時に自己実現という考え方に支配されてしまう事を思うと、
真実を歩むことが、どれだけ難しいのかということなんだなぁ。