自分で取っていくこと
自分が確かな根拠があると
思う言葉や
それに基づいて行動している
その根拠は意外と
フィルターがかかっている
それは単に自分と
その対象との利害損得が
あるかないか?
あるいはその相手が
好きか嫌いか?
好かれてるかそう感じないか
と言う関係性
案外そんなもの
利己的であり
自己保身である
言葉には良い魔法もあり
悪い魔法もある
悪い魔法にかかると
まるでそれを自分の持って生まれた
天性のように振る舞うこともある
だから少し冷めている
ぐらいでちょうどいい
冷たい冷静な思考と
熱いハートを持って生きること
この2つは両立できるのか?
そこには細々とした作業が
必要になる。一つ一つの
自分の主張を他者に納得
させるだけの根拠を
日々集めていること
それは必要になってから
集めると言うことではなく
日々それが間違っているかどうか
それと全く反対の立場に立って
ディベートのように
論争させていく作業を
頭の中で繰り返す必要がある
その繰り返しが
バランスの良い人格を
作るのだと思う
私が真剣に本気になったとき
本当に伝えたいことがあるときに
怖さが出てしまうのは
その根拠に対する日頃の準備の
足りなさと実感や経験の薄弱さを
「感情の力でもって」
うやむやにしてしまおうと
言うごまかしの気持ちがある
それは真に誠実な真剣さや
本気とは言えない
単に自己の存在を主張を
押し通したいと言う
幼児性だけが表現されている
大事な過程を手抜きしない事
本当に伝えたいことを
本当に大切にしたいこと
があるのであれば
そこに対しては
「いってんの曇りもなく」
そこを楽しむ、好奇心で
その世界をにじませるように
広げていくこと
それを明確な言葉にして
正しく漏れなく表現しなくても
それぐらいに染みている位
匂わせる位、滴り落ちるぐらい
自分自身が言葉になること