整体師に就いたきっかけ | 大阪 寝屋川 整体の和(なごみ)
簡単な自伝です。
時々、お客様から自分に付いて聞かれるので
書いてみました。
 
1969年1月、五体満足で産声をあげますが
2,200gの未熟児でした。
 
 
 
病弱で覇気もなくひ弱な幼少期を過ごします。
 
 
 
小中学校と前から数える方が早いくらいの低身長。
落ち着いた子供で常に自分を俯瞰している意識が抜けない
不思議少年でした。
 
貧乏で10坪弱ほどの築60年以上の平家で
高校まで過ごします。
自分の部屋はありませんでした。
 
高校を卒業するもやりたい事がなく
進路が決まらず浪人します。

心配した父親が整骨院を開業していた親類に相談。
鍼灸師という職業を紹介されます。
その気になり猛勉強、そして入学。

鍼灸大学は京都の園部のさらに山中にあり
同じ関西にいながら通学不可能という事で
4年間の下宿生活が始まります。

1年生の解剖学のテスト、前日の徹夜で遅刻し
受けれなかったことは今でも思い出です。
後の追試でほぼ満点とりましたのでご心配なく。
ストレートに卒業し就職です。
 
20代前半
鍼灸大学を出た自分は整形外科に
リハビリスタッフとして働き始めます。
 
 
 
整形外科の規模は入院ベッド数が20以下の小規模なもの。
それでも町の整形外科として十分機能していたように思います。
リハビリ室では午前と午後に通院患者さんの
リハビリを行います。

通院患者さんの骨折などの外傷、腰痛、変形性関節症、
アキレス腱断裂、交通事故のむち打ち症などの
いわゆる整形外科疾患の代名詞的な疾患を担当し
リハビリ室にて物理療法を行うというものでした。
 
頚椎腰椎牽引にローラーベッド、ホットパックに電気治療、
赤外線温熱にマッサージ。

社会人1年目の自分にはどれも新鮮で
院長に申し出ればレントゲン写真も見せてもらえ
目を肥やしたものです。
 
午前診と午後診の間、昼の1時頃から1時間ほどは
入院患者さんのリハビリを行うのが日課です。

入院患者さんは車椅子に乗って上階から降りてくる
老人で余生を過ごされるために入院している方ばかりでした。
リハビリによる機能訓練と言うよりは
現状維持のためにコミュニケーションも交えて
楽しい時間を過ごすと言うもの。
 
鍼灸師としてのリハビリ室勤務でしたので
鍼灸治療のご用命があった時はそれに当たっていました。

腰、肩、膝などに鍼を刺し症状緩和を目的とするもの。
局所治療で脈診や経絡を意識した東洋医学的な
それとは違いましたがそれなりに納得していました。
 
数年勤めました。
勤務する中で一通り勉強させて頂き
さらに規模の大きな病院で働いてみたくなり
勤務場所を変えます。
 
総合病院でした。
町の整形外科のリハビリ室とは異なり
そこにはリハ長と呼ばれる年配の理学療法士がいました。

鍼灸師である僕はリハ長の元でその指示に従い
入院患者さんを担当します。

脳梗塞や脊髄損傷などの麻痺症状や筋力低下のある
患者さんは若手の理学療法士さんが面倒を見て
自分を含めた鍼灸師や柔道整復師さんは
関節可動域訓練を必要とする入院患者さん担当です。
数年勤務しました。
 
次に勤務した病院は半年で閉院に追い込まれるなど
諸事情もあり一時的にバイトを掛け持ちしながら
カイロプラクティックの専門学校の講師などで
生計を立てていたこともありました。
 
訪問リハビリに興味を持ち職場を変えます。
当時は今ほど規制も厳しくなく、
一人の施術者が同施設で複数人の利用者さんを
担当することが可能で軽自動車に乗り
大阪市内を東奔西走する毎日。

一部歩合制で1日に約15人の利用者さんをみていました。
居宅で寝たきりの廃用性症候群のご老人、
靭帯硬化症で車椅子の方、
慰安目的でマッサージを待つ方、
老人保健施設で余生を過ごされる方、
脳性麻痺で自宅療養の方。
数年お世話になりましたが、
同僚のお兄さんが整骨院を開業されると言う事で
オープニングスタッフのお声がけをいただき
職場を変えます。
 
医療従事者は資格を武器に職場を転々とする
習性があるようです。
そんな中で経験を増やし独立開業するときの
経験値とするのです。
 
整骨院勤務は初めてでしたが、
本来鍼灸師は医療機関で働くと言うよりは
整骨院や訪問マッサージなどに落ち着くのが一般的です。
 
医療機関のリハビリ室ではドクターの指示通りに
機能訓練や物理療法を行うのが当たり前で
そこに施術者としての私的な考えが入る
余地はありませんでしたが、
訪問マッサージから整骨院勤務と環境が変わる中で
いち施術者対いちお客さんと言う機会に直面します。

言わば施術者としての必要なスキルが活きてくる
環境がそこにはあったわけです。
 
独立開業のイメージは20代からあったものの
なにぶんのんびり気質で若いうちからいろんなものに
手を出してバタバタ行動すると言うよりは
何か一つ出会った施術法があれば
腰を据えてそれを極めるという自分の性分が
活き始めるタイミングでした。
 
整骨院勤務の傍ら休日返上で個人で出張整体も
行なっていました。
 
数ある整体法から操体法に出会います。
本を入手しお客さんに試す日々。
効果はあるものの一時的な物に満足できず
奈良で有名な朱鯨亭の見学に伺います。
保険を使わず自費で完全予約で行うスタイル。
お客さんと楽しく会話しながらその場で症状に
対応していく先生を目の当たりにし
当時は衝撃を受けたものです。
 
そこから具体的に独立開業を意識した
セミナー通いが始まります。
 
 
 
そこで1冊の本を紹介されます。
それは身体の反射や相関をまとめたもので
他に効果のある整体法を探していた自分は
興味を持ちました。

本に書かれてある手技を色々と試す日々。
しかし、独学では限界があります。

そうだ、著者に会いに行こう。
 
当時膝を悪くしていたのでお試しのつもりで
その本の著者を訪れたのです。
東京でした。
 
施術代は、13,000円と高額でしたが
それで成り立っている整体なら尚更
知りたいと思いました。
 
先生に事情を説明し膝の施術兼挨拶に来たことを
伝えると色々と教えてくれました。

2時間半ほどお邪魔しましたが施術はたったの20分。
頭や手足に触れただけ。
ベッドから降りた直後は意味がわからず
何も感じませんでしたが、部屋を出て歩き出すと
曲がっていた脚が真っ直ぐになっていたのです。
膝の痛みもありません。
その瞬間、探していたものを見つけた感動があり
著者のセミナーに通い始めます。
思い立って東京に出向いたことに意味があったのです。
 
セミナーに通い始め自分のスキルの低さを思い知らされます。
整骨院勤務の傍ら通った初期のセミナーは
ほとんど役立ちません。
その内容の濃さがじっくり腰を据えて
スキルアップを目指す理由になりました。
 
分かった基本事項は、
1mm以内の骨格のズレで症状が生まれる事、
またそれが身体中の各部位と相関して
いくつもの規則性をもとに影響し合っている事でした。
 
鍼灸大学で習ったことや教科書に書かれてある一般常識は
解剖などの基礎知識を除いて整体施術の現場において
なんら役立たない事を悟ります。
 
現在は毎日色んなお客さんからご予約も頂き
整体施術の傍ら新たな整体法の研究を続ける日々です。
 
 
 
整体師・鍼灸学士  和田 浩