愛と光を求めすぎてしまうと・・ | 整体師Rのスピな独りごと

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すべてのひとに愛とひかりを♪

スピリチュアルでは『愛と光』という言葉がよく使われます。

 
 
そして、愛と光の意味がすこしづつ分かってくると、それをより求めるようになります。
 
 
たしかに愛と光はスピリチュアルの本質であって、ヒーリングやチャネリング、瞑想などはそのための方便にすぎません。
 
 
でも愛と光をつよく求めすぎてしまうと、その反動から『闇や悪などはあってはいけないもの』として、それらを頑なに排除しようとする人もいるでしょう。
 
 
ですが、それは光と闇、愛と憎しみ、善と悪という分離感をより深めてしまうことになります。
 
 
本来ならば、愛と光を自らが示すことで、他者もその光に包まれ感化されていくものだと思います。
 
 
そして、他を包みこむ光のなかには 闇や悪、憎しみへの嫌悪感はなく、ただ相互理解という調和があるだけです。
 
 
許したり認めたりすることで、愛と光はより輝きを増していくのでしょう。
 
 
なのに愛と光を求めるあまり、闇や悪を排除しようというのは本末転倒なこと。そして、これらを排除しようとするのは、エゴの部分で不安や恐れを抱いているからです。
 
 
でも、闇や悪に対して不安や恐れを抱いてしまうと、意識がより闇や悪にフォーカスしてしまうから、結果的にはそれらを引き寄せてしまうことになります。
 
 
また、自分は『愛と光の存在でなければならない』と感じて高いところを目指そうとすれば、当然ですが自分には愛と光(またはスピリチュアルな能力)がまだ足りないという欠乏感を抱くこともあるでしょう。
 
 
ですが欠乏感を動機とした行いは、やればやるほど意識が欠乏にフォーカスしてしまうから、結果的には欠乏感がより強くなってしまいます。
 
 
ですから愛と光を求めるあまり、これらの罠にはまっていないか、一度確めてみることは大切なことかもしれませんね。