昨日自分の中で同情と共感、思いやりとかの違いが明確でないと書きましたが、おかけでスッキリと理解できました。

 こういった時、私は「どうして?」 「なぜ?」 「いつから?」 と疑問を自分の心に投げかけ、そこへ意識を集中するようにしています。

 すると、その原因となった体験の映像が見えたり、フッと気づきが起きたりしてきます。常に疑問を投げかけ、スッキリとするまで追究していきます。

 これに対して「疑い」というのがあります。疑問と同じ「疑」という漢字は使ってても、中身は正反対です。

 疑うということは、その事象を認めたくない。自分の持っている信念、信じている事柄以外のものを否定したい気持ちの時に起こる心の動きです。

 ですから「疑い」を続けていると自分の意識が拡張することはありません。もし自分で理解のできない事象にあたった時は、疑うのではなく、疑問を持てばいいのです。

 疑問を持ち追究する姿勢は、自分の意識が拡張していく行為ですね。