先日見た光景。ピグで「しあわせまねくアヒル堂」って所にお出かけした。
そこにはバーチャルの神社があって、かわいいピグ達が順序良く並んで参拝している。多くは女の子のピグだったが、恋愛などいろいろ、チャット表現でお祈りをしている。見ていて微笑ましく楽しかった。コンシス神戸院長の心と体のカイホーを目指して!


 するとあるピグが、参拝が終わって振り向いた後なかなかその場から離れない。参拝台のようなものがあって、そこに一人ずつ上がって参拝するようになっているので、次の順番のピグが「かわって!」と言っても、そのピグは無反応。
 「後ろもいっぱい並んでいるから、代わって」と言っている。台にいる先のピグはそのうちとぼけたり反発したりで、順番待ちのピグもとうとうキレだして、ピグ同士口喧嘩になっている。順番待ちのピグを応援してあげたくて、グッピグ! してみたら、中2って書いてあった。むろんリアルの世界で大人な私は、木陰からそっと観察していただけでしたが・・・(笑)。
かわいそうにあの子、神様の前で感情高ぶっちゃったなあ・・・DASH!


 リアルの世界では、私はあらためて神社参りはしません。無宗教人間ですから、宗教にも関係ありません。伝統文化としての神社は大切に思いますので、観光などで行った時にはキチンとお参りします。

 神社にいる神様は、古事記や日本書紀など過去に実在した人物が多く祀られています。私の信じる神様は人格神ではなく、旧約聖書でいうところの「ありてあるもの」という存在の神です(ユダヤ教徒でもありません)。

 これは、この宇宙すべて、存在するものすべての源であるということです。空気や水、食料はもちろん、あらゆる生命、物質、光すら自ら創り出し、他の何者一切に頼ることなく存在することができる存在という意味です(「存在」という概念を超えた「すべて」ですね)。ですから大宇宙そのものというのでしょうか、それを神と私は信じています。それに比べると、神社にいる神様は、水や食料も必要?ですから、唯一絶対の神ではありません。神社にいる神様は、過去に立派に生きた「光の天使たち」です。仏教でいうところの「菩薩」や「如来」で、私たちから見れば、神の如く立派に生きられた方ということでしょうか。

 神社の云われも、「太古の水」を開発したアマチュア天文家の木内鶴彦さんの記憶と調査によれば、前文明時代に地球の電磁場を調整する為にそのポイントに穴を掘って、玉砂利や炭を敷いて、水晶玉を埋める。その上に木の根を水晶玉が地中でズレないように股がせて木を植えた。これが御神木と言って、電磁場を調整する聖なる地の云われと話されている。お社はそれに付随するもので、後からのものだそうです。そういえば「イヤシロチ」という土地の電磁場を調整する工法が流行っているが、ここから伝わったものかもしれませんね。

(その知恵を忘れて、神社移転などで御神木を切り倒していくので、安定していた地磁場が乱れてきているという話もあります。余談となりますが、パワースポットでも有名な熊野三山の奥ノ院である玉置神社。そういった伝承からの命名かもしれませんね・・・)


 自分が神社の神様の立場になって観察してみてください。5円や10円(金額の多少ではありませんが)を賽銭箱に入れて一生懸命に自分の欲望とも思しき願いを訴えている人と、自分のことではなく他人の幸せを一生懸命にお祈りしている人と。どちらの願いを叶えてあげたいですか? 神様は見えない世界の方なので、わざわざ訴えなくても私たちの心の中はすべてお見通しです(笑)。

 私が神社にあらためて行かないのは、あのような狭い窮屈なお社に閉じ込められている神様はいないと思うからです。そこへ行かなければ会えない、願いを叶えてあげないというような心の狭い光の天使なら(そんな光の天使はいませんが・・・)、こちらから願い下げです。地球上どこにいても、いつでも心の中で通じてすべてお見通し。そんな神様・光の天使が好きです。

 さて、神社に参拝するあなた。これからは自分のことではなく人様の幸せをお祈りしましょう。あるいは今日まで幸せに生きて来られたことへの感謝の気持ちを述べましょう。その方が本当の自分の願いが叶うかも?ひらめき電球