人生を思う存分楽しめてる?|箴言2:20-22 | 聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の言葉に、毎日少しずつ触れたい人向けの(ほぼ日刊)ブログです。解説というよりは、思ったことを書いてます。スマホなどで気軽にどうぞ。

■今日の言葉
「身も心もきよく生きなさい。
 何があろうと正しい道からそれ
 てはいけません。

 人生を思うぞんぶん楽しめるの
 は正しい人だけです。

 悪人はせっかく幸運を手にして
 もすぐに逃がし、やがては完全
 に息の根を止められてしまいま
 す。」(箴言2:20-22)


■自分への問いかけ

体と心に負担をかけていないか
正しい道を歩こうとしているか
使い方を間違えていないか


・体と心に負担をかけていないか

「身も心もきよく生きなさい。」

心をきよくするのはわかるんだけ
ど、身をきよくするってどういう
ことかなって思いました。

清潔である・・・ことに越したことは
ないですが、きっとそういう意味
じゃないですよねw

単純に考えれば

「悪に手を染めるな」的なことだと
思います。

心で悪い思いをいだいて
それが行動となってあらわれる

=身も心も汚す

ってことですかね。

あいつが憎い!←心
悪口を言う  ←行動

みたいな感じでしょう。

※ここでは「何が悪で何が善か」
 は問題にしていないのでツッコ
 ミはしないでくださいねw

こういうことが、いつも自然に
連動して無意識に同時に起こる
場合は

「自分との対話」が欠けているの
かもしれません。。。

思ったことはすぐ口に出すタイプ?
動物的な本能のみで生きるタイプ?

でもそれは

自分の感情を抑え込めってことで
はないと思います。

そんなことをしていたら、心に負
担がかかりすぎて、病気になりま
す。

「あいつが憎い!・・・あ、でもそん
なこと思っちゃいけない。私って
ダメな人間・・・」
→心に負荷をかけるタイプ。

「あいつが憎い!・・・別のことを
考えよう」
→逃避タイプ。

「あいつが憎い!・・・そりゃあ憎
むのは当然だわ。その感情は正し
いよね。でも、ホントに100%
憎むべき人か、もうちょっと観察
してみたら?」
→心の負荷をうまく逃せるタイプ

自分を否定するのではなく、受け
入れつつ、でも自分の物の見方に
も問題がないか常に問う感じです
ね。

逃避タイプは、切り替えが上手で
それも時には必要ですが、問題の
解決になっていないことが多いの
で、長い目で見ると問題が山積み
になってしまうかもしれません。

話が脱線しましたが・・・

「身も心も清く生きる」というの
は、要するに自分に負荷をかけな
い生き方をしなさいということの
ように思えます。

恨みとか憎しみとか、ねたみなど
の自分に負荷がかかる感情は

自分を幸せにしないとわかってい
ながら、それを長く心に抱いてい
るとストレスがたまり

体をむしばんでいくというのは
自然の流れだと思います。

こういう書き方をすると

「お前は何を言ってるんだ。身も
心も清く生きるのは、神がそれを
喜ばれるからに決まっているだろ
う。自分のためじゃないんだ!」



真面目な?クリスチャンに怒られ
そうですが

神は何を喜ばれるのか?
=わたしたちが幸福になること
だと思うのです。

結局、罪がなぜいけなくて
神が悲しむのかと言えば

それはわたしたちの身も心も
むしばむものだからでしょう。

自分の子どもが、明らかに体に
悪いものばかり食べていたら
「それはダメ」と言うのが親心
ですよね。

・正しい道を歩こうとしているか

これは「そもそも正しく歩こうと
意識しているか」の問題だと思い
ます。

「間違っちゃいけない」とか
「正しくあらねばならない」とか

そういう、強迫観念に満ちた
肩に力が入りすぎは良くないと思
いますが^^;

時々
自分をふりかえって思うこと・・・

けっこう「損得勘定」で判断して
るんですよね~(> <;)

それがまったく悪いとは思いませ
んが

いろいろと計算している自分に
時々「うっ・・・」となります^^;

「損得勘定」の問題点は

利益があるかどうかで判断してい
るところ。

それが善であれ
利益が発生しないなら、「ムダ」

それが悪であれ、多少の悪なら
利益が発生するなら、「やろう」
となってしまうところ。

「利益」っていうのは人それぞれ
ですが、自分の評価があがる
とかですかね。

・使い方を間違えていないか

「人生を思うぞんぶん楽しめるの
 は正しい人だけです。
 悪人はせっかく幸運を手にして
 もすぐに逃がし、やがては完全
 に息の根を止められてしまいま
 す。」

こういう書き方をされると

正しい人がすごくイヤなヤツに見
えてしまうかもしれませんw

上から目線で「ざまぁみろ」的な^^;

まぁ、その辺のニュアンスは
訳の問題だと思うので
スルーしておきましょう。

ここで注目したいのは
「悪人も幸運を手にできるんだ!」
っていう驚きです。

でも、その魚を逃がしてしまうと
いう。。。

結局、自分が手にしたものをどう
使うかなんですよね。

今、ざっと自分がもっている能力
や知恵を見渡してみて、どんなこ
とに使っていますか?ってこと。

豊かなボキャブラリーを持ってい
る人がここに2人いたとして

かたや、心の中のデリケートな部
分にまで響く言葉で人を励まし

かたや、そのボキャブラリーで
誰よりも深く傷つける言葉を発し
ている。

使い方はあなた次第、ということ
です。

宝くじに当たった人の多くが不幸
になるのも、使い方を間違ってし
まうからですよね。

「人生を思う存分楽しめるのは正しい人だけです。」

人生を思う存分楽しむためには
思う存分楽しみたいものが見つかっ
ていないと楽しめません。

ということは

相当人生について考えている
ってこと。

人生について相当考えれば

長い歴史からもどんな人が幸福な
人生を送り、どんな人が不幸に
なったかは学べるし

自分が進むべき道や
何のために生まれて来たか
どんな人生を送りたいのかも

イメージはできてるはず。

その「キモ」となる部分を軽んじて
「重たい話はイヤ」と避けて通っ
ていれば

そもそも自分の幸福がどこにあるの
か見つけないまま歩いているわけだ
から、人生が楽しいわけがない。

何をやってもなんとなくむなしいし

それをまぎらすために、またその場
しのびの楽しみを見つけて過ごす。

結果

自分で自分の首をしめていくよう
なことになってしまうパターンで
す。

誰かに息の根を止められるのでは
なく、自分ってところがミソです
ね。

「悪人」という表現は、好きでは
ないんですが^^;