無知の知|箴言9:10 | 聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の言葉に、毎日少しずつ触れたい人向けの(ほぼ日刊)ブログです。解説というよりは、思ったことを書いてます。スマホなどで気軽にどうぞ。

■今日の言葉

「知恵の基本は、神様を恐れ、た
 いせつにすることです。

 物事がよくわかりたかったら、
 まず神様を知りなさい。」(箴言9:10)


■自分への問いかけ

 物事の根幹をとらえているか
 自分の限界を受け入れているか


「神はいない」という人は多いで
すが、何をもって言い切れるのか
未だにナゾです。

この話になると、やはり宇宙の始
まりに話がおよぶのですが。。。

ビッグバンがあろうとなかろうと
そんなことは問題じゃありません。

仮にビッグバンがあったとしても
その原因はどうやって発生したの
よ?って話ですね。

その”材料”は誰が用意したの?
ってことです。

宇宙の始まりは、たった一回ので
きごとですから、もちろん科学の
領域ではありませんよね。

となれば、"信仰"の領域です。

「神がいる」も信仰。
「神がいない」も信仰。

結局どちらも信仰なんですね。

「神がいる」は、とりあえず宇宙
の始まりは説明がつきますが

「神がいない」は、永遠に宇宙の
始まりを説明できないでしょう。

だって

「偶発的に起こった」
「自然にできた」と言ったって

その「自然」はどうやってできた
の?っていう問いは、延々続くで
しょうから。。。

「神」というのがしゃくにさわる
なら「なにものか」でもいいし

「宇宙の意識?」とか「なんらか
の存在」とか

表現はどんな形でもいいと思いま
す。

やっぱりそこに、第一原因となる
何かしらの存在が「ある」という
ことは認めざるを得ないと感じま
す。

世の中にある「宗教」や「宗教団
体」は、どうしたって人間が作っ
た組織ですから

合う合わないがあったり、そこに
嫌悪感を感じる人がいるのは仕方
がないと思いますが

そういうものをとっぱらって

純粋にこの宇宙全体を見渡した時
に、やっぱりこの宇宙を造り出し
た存在はいる(ある)よねって結論
になるんじゃないかなって思いま
す。

これってすべての考え方や生き方
の根幹になるわけで

そこがあいまいだったり、間違っ
ていたらおおごとなので、後回し
にしてはいけない部分ですよね。

まぁ、ホントにあっているのか、
間違っているのかは、最終的に
誰にも判断できないですけど。

少なくとも自分なりに突き詰めて
自分なりの答えを出しておくこと
は大切だと思います。

その価値観の上に、人生は建てあ
げられていくからです。

「自分の限界」はさがせばいくら
でもあります。

そもそも自分が生まれる国も年代
も家族構成も選べなかったし、

名前も決められなかったし、
老いには勝てないし、
いやでも死を迎えるし。

そうやって考えていくと、自分の
限界はそこら中に見つかりますよ
ね。

自分にできることは限られてるし
小さな存在なんだってことに気づ
いた時、本当の知恵に目覚めるは
ずです。

無知の知みたいな境地でしょうか。