新しい聖書

   命がけの仕事なんだ。

 かっこちゃんから
  魔法の文通、返事が届いた。


 「ねえ、赤塚さん、相変わらずあちこちに出かけておられて、そんな中、私たちの新しい聖書を何度も繰り返し読んで推敲してくださってありがとうございます。きっと赤塚さんは、「何いうんや、俺たちの自分たちのことやないか」って言ってくださると思うのですが、それがわたしにとって、どれくらい心強いことかしれません。

 今私たちがしていることは、なんだか推理小説を書いてるのにも似てるなあって思うのことがあるの。

 生活の中、起きたことは変わらないけれど、人の伝え方でこうも違うんだと思うことっていっぱいあるなあって思うのです。たとえばある日、一緒に参加した方が、ニコニコわらっておられたとします。
ある人は、楽しそうやったねって受け取るでしょう。
でもある人は無理して笑って、苦しそうやったねって受け取るかもしれません。
事実はかわらない。
でも、中身がまったく逆になってしまいます。

聖書も、すべてが本当に起きたと前提して、とたえばロトの妻が塩の柱になった話を考えます。

ある人は神様に振り向いてはならないと言われたのに振り向いたから、罰を受けて当たり前と書くでしょう。
でも、塩の柱になったことは変わらなくても、そこに神様が「前を向いていくんだよ、後ろを振り向いて歩いていくのじゃなくて、前向きに生きていってほしい」という意味があって、それでも、ロトの妻が「あのまちにはわたしの大好きな人たちがいる。
置いてはいけない、わたしの心はまだ残っている。
わたしもここでみんなを見ていたい」という願いがあって、神様がそれをかなえたんだとしたら、話は大きく変わります。
サムシング・グレートの視点に立ってみたら、神さまはひいきはしない、罰は与えない、すべてが神さまの手のひらの上にある。すべてがいつかのいい日のためにある。
ただそう考えるだけで、お話がどんどん変わっていく、何度も書くけど、事実は変わらないのに…。

赤塚さん、楽しいね。

本当に生きていると楽しい。
こんな作業が大好きな仲間や赤塚さんや平ちゃんとできるなんて。
そしてね、赤塚さん、赤塚さんが教えてくださった変容が、自分の中にどんどん起きていくのを感じるの。
すぐにマイナスなことを考えてしまうわたし、すぐに誰かを責めたくなるわたし、すぐに誰かのせいにしたくなるわたし、でも、何度も聖書のお話を、座る位置を変えて考えていくとき、何かが変わっていくのを感じています。

赤塚さん、ただただ感謝しかありません。
ありがとう赤塚さん、ありがとう平和くん、ありがとう神さま。
ありがとう仲間たち。
すべてのこの今、こんなに楽しく生きているよ。
うれしくてうれしくて、涙が出るよ赤塚さん。
 もうすぐまた会えるね。楽しみです。    かつこ」

 ああ
  こんな人生が私に始まったのだ。

 40年足の裏で聖書を読んできた赤塚高仁。

 生まれながらのクリスチャン石田平和。

 聖書なんて読んでないけどイエスの領域と視座の
               かっこちゃん。
・・・誰がサムシンググレートの視点に立って観れる?

     三位一体で書く
  ヤマト人への聖書。

 これがどんな仕事なのか、評価は300年後でいい。

  祈りが届いたんだなぁ

私は、神の意思を奏でる楽器でいたい・・

  どうぞ、神さま
 私の願いではなく、
 あなたが、私に願ってくださいますことを
 為さしめてください。

   18年前ピリポカイザリアで与えられた祈り・・・



 まわりから人が去る。
   当たり前のこと、領域が違うのだから。

 友だちなんてちょっとでいい。

 偉い、偉くないって話じゃないんだ、
  好きだ、嫌いだって個人のエゴぢゃない。

  残りわずかとなったこの世の旅路
   誰と何をして生きる

  それを決めずして、何が人生か。

    この本を書くために生まれてきたんだ。

      赤塚高仁は。


 決めた未来だけが実現する。

    日本人が初めて聖書と出会う。


  もうすぐなんだ、
   本当にできるんだよ。

  アシュレイ!