私が生まれた、1959年2月27日金曜
父は、仕事が手につかず、休んで、
ずっと病院にいたといいます。

 建設会社を起業して間も無く、忙しいはずなのに。

  いや、ヒマだったのか。

嬉しいことではありますが、
昼過ぎても中々生まれてこないので、
夕方家に戻って、
力道山のプロレスの試合をテレビを見ている間に、
私、生まれました。

いろいろと
気を遣ったりするのだけど、
肝心なところで間が抜けているのは、
私、父から譲り受けました。


小学校のとき、
体罰のひどい教師に、
ちょっと言ってきてと母に言われ、
学校へ乗り込んでいった父。

「先生、叩くのは顔はやめて、
お尻にしてください」
って

どこか、ほんのちょっとズレる。
そこと違うやろ!
と、ツッコミを入れられるとこ、
私、父から譲り受けました。


父の仕事を継いで、
やる気まんまんの若き社長に

「あのな、
商売は、牛のヨダレのように
ダラダラ 細く 長くや

それからな、
屏風と商売は広げ過ぎたらあかんで。

広げ過ぎたらこける。

商売は大きくするのは
アホでもできる。

せやけど、
大きくなったのを
小さくするのは、
アホには無理や、
せやで、
お前は大きくしたらあかん」


私、のほほん経営を父から譲り受けました。
30年間、広げ過ぎず、
屏風をコカしませんでした。

父からは
争わない生き方を学びました。

父は、常に争いになりそうなとき、
相手に譲ったのです。

そんな父を見て、母は、
父のいないところで、

「父さんみたいになったらあかん」

と、私に呪いをかけましたが、
私、
父さんみたいになりました。


父さんが一番したかった、
「好きなことをして生きる」
それを生き切ることが父への、ご先祖様への、
最高の供養やと思います。

 いつも喜んでいること

 絶えず祈っていること

 すべてに感謝すること

ガンの病床にあって、
最後の言葉は、

「じゃあね、バイバイ」

手を振って息を引き取った父。


私のヒーロー
今度生まれてくるときも、
やっぱりあなたの子どもでいたい。

父さんありがとう。

 何故だか妙に、父を思い出す今朝です。

   だから、やっぱり

    人は死なない。