糸川先生とアンさん

  私の師匠です。


   29歳の夏、当時の鬼太鼓座のマネージャー

 吉村信介さんに連れられて伺った糸川先生のお宅。


  月に一度の勉強会でした。


 隼戦闘機の設計士、ロケット博士

 当然宇宙の話や科学のことが聞けると思うでしょ。


   ところが、


 テキストは「聖書」



 「世界で一番古くて、世界一のベストセラー

  なぜ読まれ続けるか?

  それは、真理があるからです。


  キリスト教の経典としてではなく、

  人類の知恵の書として読むのです」


その時の出会いが人生を根っこから変えることがある。


 私は、この人を師匠と仰ごう。

   その日そう決めたのです。


 29歳の私が、毎月世田谷の先生の家に通うのは

 容易ではありませんでした。


   お金も時間もない。


 と、いう出来ない理由を考えるのをやめて

 どうしたらできるのか考えました。


  津JC(青年会議所)を退会しました。


 

 「あなた、イスラエルに行きなさい」

   出発の2週間前に誘っていただきました。

 とても時間とお金の工面ができない。


  車を売り、保険を解約し、有り金はたいて

  成田に向かいました。



   師匠というのは、


     理不尽な存在です。



  だからこそ、己に死んで

   ハイか、イエスか、喜んでとついていく。




 自分勝手に作り上げた

  「私」という錯覚が見る世界を生きて死ぬ。

 壊れたままの砂時計のような人生。


    なんてもったいないことでしょう。



 しかも、そのことを考えることもなく

  疑うこともなく一生を終えてこの世を去る。


 目を覚ますこともなく。




   師匠のおかげで、私は今

  自分で考えて生きています。


  「自分で考える」


    これが、「自由」です。

 

  私たちは、この宇宙に遊びに来たんだから。




  糸川先生、

   ステキな仲間たちが集まりました。

みんなが「ひらり変容塾」と集いに名前をつけてくれました。

  いい名前でしょ、アンさん。


1999年2月21日未明
糸川英夫博士は、天に還ってゆきました。

「同じ仕事を一生続けるのが立派だと人は言うけど、自分は十年に一度、仕事を変えてきた」

と糸川先生は少し誇らしげに話してくれました。


22歳で中島飛行機の航空機を設計し、

29歳で東京大学航空研究所に移り、

36歳で音響工学を研究し、

42歳でロケット開発を始め、

55歳で組織工学研究所を設立し、

60歳で始めたバレエで、帝国劇場の舞台に立ち

62歳でベストセラーを書き、

72歳でイスラエルとの協会を立ち上げ、

80歳でバイオリンを制作した。


「何かにしがみつくよりも、
得たものを手放すことの方が難しい。
だから、
手放すことを考えてきた。
そして、
誰かに出来ることなら自分の仕事ではない。
前例がないからやってみよう!が、
人生のテーマだ。」


糸川英夫先生は、私にそんな生き方を見せてくださいました。

行動の人でした。

人は、やってみなければ、
それができるかどうかなんてわからない。

そして、
やってみると大抵の場合、可能なのです。

それを知るのはやってみたときです。


神が創造したこの宇宙で、
一番目につきやすいものは、
何に関しても

「あなたにはできない」

と告げる人々です。


彼らの言葉に耳をかすな!

と糸川先生は身をもって教えてくださいました。


この世で最も強い人とは、

自分の力を信じている人

あえて望みを高くもつ人

人生で得たいと思うものを自信を持って追い求める人

だということを
糸川英夫先生は教えてくださいました。


「前例がないからやってみよう!」

   私もそう生きます。





追伸です。

「糸川先生誕生祭」

昨年に引き続き、今年も、開催いたします。

糸川先生誕生祭

糸川先生とアンさんが大好きだった、津のお寿司屋さんが、木風心風堂でお寿司を握ってくれます。

お二人のゆかりのゲストもお迎えし、赤塚さんと父の対談もあったり。

美味しいお寿司とイスラエルワインで、お祝いしましょう。

日時 令和6年7月21日日曜日

     17時から

場所 木風心風堂

参加費  33000円

定員 33人


お申し込みは、

下記まで

https://ws.formzu.net/dist/S724512394/