何年か前に訪ねた

青森、戸来村にあるキリストの墓


   よもやまた来るとは思いませんでしたが、

  みんな不思議が好きなのね。


  近くにはピラミッドもあります。






 不思議は詮索しない。

エルサレムにも、ゴルゴダの丘の他に
園の墓があって、
キリストのお墓だとどちらも言う。

  でもね、
イエスが生きていた頃のエルサレムは、
いまの街の7メートルも地下。

  だからまあ
事実がどうとか難しく考えないで、
ふわふわとしてたらいいね。

  こんな風に








神さまのお導きというのは、
自分が必死に願い求めるものではなく、
人と人との出逢いの中で生まれる流れに乗ってゆくもの。


一見自分の願いとは違うように見えても、
「ハイ、わかりました」と受けとめてゆく時、
不思議に扉が開かれてゆく。


「ビジョン」を目指して自力で運命をひらくのをやめて、
「ミッション」に任せて動かされてゆく世界があります。


思いもよらない運命好転は、ミッションの呼びかけの先にあるのです。


ビジョンは自分持ち、
ミッションは向こう持ち、
だから、
思いや、願いを手放す勇気が必要です。

そのために

 いのちの声を聴くのです。

自分の内なる声
静かな呼びかけに


日常の「私」を生きている時には、
さまざまな騒音でかき消されてしまう、
内なる自分からの静かな呼びかけ・・・


その声を聴く
そこからすべては始まるのです。


私の人生の「特異点」シンギュラリティが来ています。

変容の時です。
新しいフェーズの始まりです。

私が願って生きてきた世界から、
私に願われていることを生かされてゆく世界への冒険の始まりです。

 内側に立ちあがってくるエネルギーだけが旅に出るためのパスポート。


私にはまだまだ未使用のエネルギーが無尽蔵に眠っています。


誰かがいつか何かをしてくれるはず、
だから、その場所に行って幸せになろう・・・

どこにあるのか探そう・・

スピリチュアルなセミナーをジプシーのように彷徨い、
宗教にのめり込みそうな、
そんな時代もありました。
でも、
青い鳥は私の中にいたのです。

 「赤塚さん、講演活動ばかりして本業は大丈夫ですか?」

 「建設会社の社長がどうして聖書の講座をするの?」

 「イスラエルにどうして建設会社の社長が・・・」

そう訪ねる人たちの思惑に合わせようと、
いちいち気にして、エネルギーを落としたときもありました。

でも
はっきり決めました。

 ライフワークを喜んで生きる。

決めた未来だけが実現するのですから。


内なるエネルギーを立ち上げるのです。
そのことを、
なりふり構わずやります。

エネルギーの書としての「聖書」を伝え、
イエスキリストという、人類史上最高最強のエネルギーを示した男に学びます。

ヤマトとユダヤをつないで、最高の人生をおくります。

やまとこころのキャンドルサービスで、大和魂の振起を祈ります。


そのために、
内なる静かな呼びかけを聴き、
経済活動を豊かにし、
仲間とつながり、
神の宮である身体を大切にします。


 外にはなりふり構わず、誰から何を言われようと前へ、
そう、自立するのです。
でも、
内にはなりふり構って、自律してゆきます。

 

闇に降りて、光を生きる

安心して闇に降りてゆけるとき、
私たちは光への道にいるのです。