三度目のエペソ


  いろんなところにエフェソスと書いてあるから

そう発音するのが良いのだろうけど、

私は、聖書を口語訳で読んできたので、

そこに書かれている通り「エペソ」と呼びます。


 


 8年前、初めてエペソを訪ねたとき、

イエスが、十字架で処刑された後、

弟子ヨハネが母マリアと隠れ住んだ家に行きました。


 3年半前に来たエペソは雨でした。

ヨハネが葬られたとされる墓に導かれました。



  聖書には弟子たちの最後は書かれていません。


 唯一書かれているのは、

 イエスを銀貨30枚で売ったユダが、

 自責の念で首を吊って死ぬところだけ。



  だから、

 その後の弟子たちのことは、

 聖書以外のことで知ることとなるのです。



  ヨハネはイエスの弟子だったとき、

 おそらく16歳くらい。


  聖人にされてしまった彼らは、

 ヒゲをたくわた老人のイメージですが、

 実際には青春の群像だったのです。



   弟子とはいかなるものなのでしょう。






 エペソに今も残る

 ヨハネが母マリアと6年間暮らした家。


  

  



いまから35年前のことです。


 私、赤塚高仁は、

1989年7月23日世田谷の糸川英夫宅を訪問して

「この人の弟子になろう」と勝手に決めました。


旧約聖書の講義があまりにも面白かったのと、
イスラエルという未知の世界に魅せられましたので・・
いえ、それは理由です・・・


いま思えば、わけなどなかった


心の奥の方から湧き上がってくる情動に従った、というのが本当のところかもしれません。


 弟子は師匠を決められるが、

 師匠は弟子を決められない。


そう勝手に決めて、先生のお宅に通いました。


そうは言っても、津から世田谷は近くはないので、少し頑張りました。

車で走ったり、新幹線に乗ったり。

 そのための時間を生み出すためにJC(青年会議所)もやめました。


お金がないという言い訳もやめました。

ときに車を売ってお金を作りました。


聖書の勉強のあと、
ご飯を御馳走になり、泊めてもらって朝帰る。


思えば夢のような、
贅沢な恵みの時間でした。


いろんな先生の講演を聞き、
本も読み、セミナーにも出かけたしりて
それぞれの「いいとこ」どりをしてきました。


でも、
師匠はそうではありません。

嫌なとこあるのが人間です。
そばにいれば、否応なしに欠点が目に入ります。

「わるいとこ」

「理不尽なこと」

も飲み込み、

おそばにいられる自分になる。


師匠が、白いものでも黒だと言えば、黒とするのが弟子です。


それが、先生だとそうはいきません。

先生の批判をしたり、

次の先生を探したり、

私が変わるということはありません。


 私の人生の中で、糸川英夫と過ごした10年がどれほど大きなものだったのか、わかるようになってきたのは最近のことです。


「苦しみ」の原因は、私について考えること。


私はつくづく頑固な人間だと、自分のことを思う。

私の事しか考えません。


そんな私が、糸川先生に対しては、自分に死ぬことができたのです。

「はい」と従いました。

父にも、母にも、妻にも、

友にもできなかったことです。


人生の中で、

そんな相手があるということのすごさを思うのです。


「自分に死ぬ」


これほど難しいことはありません。


 尊敬というだけでは説明のできない、もっと大きな力が働いていたようにも思います。

もしかしたら、
生まれる前から定められていた、「聖なる約束」だったのかも知れません。


ロケット博士として世界に知られている糸川英夫博士ですが、そばに置いていただいた10年間、糸川先生は私にロケットの話をしたことがありません。

自分がやったことの自慢ばかりしている私には、それが驚きです。

過ぎたことに興味のない人でした。

子どものような眼をして、未来を見ている人でした。


 そんな糸川先生の人生最後の仕事が、
日本とイスラエルを友情で結ぶことでした。


「日本とイスラエルが手をつないで、

  世界を平安に導く。

 私は科学者だから、

神様という言葉を使えないけれど、これは私が願ったというよりも、そうさせられているとしか言いようがない」

と、糸川先生は繰り返し言っていました。


糸川先生亡き後、イスラエルへのツアーも終わると思いましたが、24年続けてこれました。

天上界からの、糸川先生の導きだと思えます。


イスラエル建国70年を記念して

「ヤマト・ユダヤ友好協会」を立ち上げました。

イスラエルに記念碑を立てました。

糸川英夫博士を名誉会長に・・・と、考えたのですが、
名誉教授とか名誉会長という肩書を嫌った先生でしたから、それはできませんね。


 「ヤマト・ユダヤ友好協会」は、糸川先生に喜んでもらえるものにしなければいけません。

この協会をベースに、聖書塾も開催し、イスラエルの情報も伝えてゆきます。


 私は、糸川英夫博士ではありませんが、
誰よりも糸川先生の願ったことを伝えることができると信じています。


糸川先生について語るのではなく、
糸川先生の願ったことを伝えるのです。


 エペソでは、パウロも活躍しています。

 「エペソ人への手紙」は素晴らしい。

弟子の在り方をヨハネと対話しながら書いたのが



 かっこちゃんと行くトルコの旅


   新しい扉の向こうに何が待っているのでしょう。