【トルコ航空機に乗る理由】#065

立春大吉
大和の新年
あけましておめでとうございます。
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今日は、
イエスさまの無条件の愛
アガペーとも重なる
大和の心がよく分かる
エピソードをご紹介したいと思います。
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わたしたちの旅
そして、赤塚さんのイスラエルの旅の
ほとんどは
トルコ航空機に乗って
イスラエルへと向かいます。
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コロナ後の
聖地イスラエルの便は
ほんとうに全席が取り合い状態。
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けれど
「日本の皆さまの旅ならば」と
席を確保してもらえているのだそうです。
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そしてそれには
大きな理由があるのです。
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19世紀末、
ヨーロッパ列強との
不平等条約に苦しんでいたのは
日本だけではありませんでした。
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日本は
そんな国々と友好関係を築き
ともに発展していこうと
考えていました。
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1887年、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下は
オスマン・トルコ帝国を訪問し、
皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見しました。
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1889年7月、
これに対する答礼として、
同皇帝は
オスマン・パシャ提督率いる
総勢650名の使節団を乗せた
軍艦エルトゥールル号を日本に派遣します。
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1890年6月、同使節団は横浜港に到着、
オスマン・パシャ提督は
明治天皇に拝謁し
オスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。
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同年9月、
日本と親交を深めた同使節団は
トルコへの帰路に就きますが、
航行中、
和歌山県紀州沖にさしかかったところで
台風に遭遇してしまいます。
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(実はこの時
 日本側は台風の可能性を
 使節団に知らせ
 出航を遅らせることを
 提案していたそうです)
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強風と高波の中、
エルトゥールル号は
樫野崎灯台を目指して航行しましたが、
運悪く、沖合約40メートルで座礁し、
沈没してしまいました。
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この海難事故により、
オスマン提督以下乗組員587名が
死亡するという大惨事となりました。
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そのような中、
付近の住民の命がけ、
かつ献身的な救助により、
69名の乗組員が救出されました。
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さらに神戸の病院に移送されて
手厚い看護を受け
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後に日本海軍の巡洋艦
「金剛」及び「比叡」によって
丁重にトルコに送還されました。
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また、日本国内でも
犠牲者に対する義援金の募集が
広く行われました。
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エルトゥールル号の海難事故自体は
極めて痛ましい事件ではありましたが、
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その際の日本官民あげての
手厚い事後対応は
トルコの人々の心を打ち
現在も両国の友好の原点の出来事として
トルコでは
知らない人はいないのだそうです。
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……知らない人はいないそうなのですが
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あなたは知っていましたか?
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わたしたちの先輩方の
生き方のお手本となるような
すばらしい無条件の愛
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映画にもなっているのだけれど
それでも
知らない人が多いのですよね。
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知ることは愛のはじまり
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あらためて
心に刻みたいものです。
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明日はこのエルトゥールル号事件のことを
大切に覚えてくださっていた
トルコの人たちが
日本人のために命をかけてくださった
その恩返しについて
お伝えしたいと思います。
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今日もお読みくださって
心よりありがとうございます。
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