【ペテロの変容、その7 ゲッセマネ、最後の祈り】#061

最後の晩餐の後
イエスさまが
最後の祈りのために訪れるのが
わたしたちの旅でも訪れる
「ゲッセマネ」というところです。
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それでは引き続き
『ユダヤに学ぶ変容の法則』から
ご紹介していきましょう。
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(引用ここから)
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最後の晩餐の部屋を出て、
城壁の外、
ケデロンの谷を越えたところに
オリーブ畑があります。
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そこは
オリーブの油を絞る場所という意味の
「ゲッセマネ」と呼ばれていました。
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イエスは弟子たちを連れて
このゲッセマネに行き、祈りました。
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イエスはこのような言葉で
3度祈ったと聖書は記しています。
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「わが父よ、
 もしできることでしたらどうか、
 この杯をわたしから
 過ぎ去らせてください。
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 しかし、わたしの思いのままにではなく、
 みこころのままになさってください。」
(マタイによる福音書26−39)
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弟子たちの中で、
ペテロとヨハネとヤコブの3人は
特別にイエスのそばまで
ついていっています。
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しかし、イエスの祈りの間、
3人は眠っていました。
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1度目は叱ります。
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2度目に祈ったときも寝ていましたが、
何も言いません。
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3度目には、
「もういい、時がきた」と言われました。
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(中略)
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「苦い杯を取り除いて欲しい」
というのは、
イエスの
死を恐れる一人の人間としての
弱さを表すのだという人がありました。
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それを乗り越えて、
覚悟を決める場面だと……。
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私は、ゲッセマネでの
イエスの本当の心を感じようと、
オリーブ園で
静かに風に吹かれたことがあります。
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そのとき心に聞こえてきたのは、
「主よ、私はあなたの御声に従います。
 しかし、弟子がまだ育っておりません。
 いましばらく
 教育の時間をいただけないでしょうか」
という、イエスの悲痛な叫びでした。
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わが事で
苦しんでおられたのではないのだと
感じました。
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その祈りも虚しく、
眠っている弟子たちを見たときの
イエスの気持ちは
どのようなものだったでしょう。
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1度目は叱りますが、
2度目にまた寝ている弟子たちには
声をかけず、そのままにして
3度目の祈りに向かう
イエス・キリストです。
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まさに、すべてを砕き
ランプを灯すための油を絞る
オリーブのように
イエスは魂を砕き祈ったのでしょう。
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こうしてゲッセマネの祈りを終え、
イエスは真っ直ぐに
十字架へと向かってゆきます。
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時がきたのです。
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(引用ここまで)
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実は
『ユダヤに学ぶ変容の法則』の
カバーデザインは
この「ゲッセマネ」に
光がさす様子をイメージしています。
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(あ、たぶん初めて言った、笑)
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聖書の中では
苦渋に満ちたシーンなのですが
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当時のペテロたちのように
眠ってしまうことなく
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(ここでの「眠る」とは
 メタファーでもあります。
 マルコによる福音書には
 「あなた方は誘惑に陥らないよう、
 見張って、祈っていなさい。
 霊はその気でも、肉体は弱いのだ」
 と書かれています。)
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わたしたちはちゃんと
神の祈りに気づいて
目覚めていることができますように
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魂の願いのとおりに
生きることができますようにという
願いと祈りをこめました。
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このご本を読んでくださる皆さまと
そして、イスラエルの旅を
ご一緒くださる皆さまと
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どうか目を覚まして
光の道をともに歩んでいけますように
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いまもいつも祈っています。
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今日もお読みくださって
心よりありがとうございます。
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