仰げば尊し我が師の恩


  今日2月21日は、糸川英夫博士の命日です。



 1999年

 120歳まで生きると言っていたのに、

 86歳で亡くなりました。


   私への遺言は、


    「自分で考えなさい」


今を生きる私の指針となっています。


  先生との真の対話は、

   死に別れてから始まりました。



 糸川英夫は、筋金入りの愛国者でした。


  設計した「隼戦闘機」が敵艦に体当たりする様を、

 どんな気持ちで受け止めたのでしょう。


  きっと、

 人が乗らなくても目的地に到達する乗り物、

ロケットの発想はそこから生まれたのだと思うのです。


  




 

 イスラエルから戻ってしみじみ思うのは、

 日本人は、見えない世界を感じる民族だということ。


   言わなくてもわかる。

  言葉に秘められた思いを読む。


平安時代の僧侶であり歌人でもあった西行が伊勢神宮で詠んだ歌を思い出します。

当時は、僧侶は神域に入ることが許されず、遠くから伊勢の御神域を仰ぎ詠んだ歌です。


「何ごとのおわしますかは知らねども

  かたじけなさに涙こぼるる」


これが、やまとこころですね。



神宮の御正殿は絹の御帷(みとばり)で隠されています。

月嘗祭、神嘗祭のときも神官さんたちが中で何をなさっているのか覗くこともできません。

ただ、漏れ聞こえてくる雅楽の音に耳を傾けるだけです。

これみよがしにきらびやかな神殿をつくり、神の像を拝む信仰ではなく、我がやまとこころは、神は見るものではなく、感じる、畏れ多いものであることを知っています。


合理主義、物質主義の西洋文明では決して到達できない境地と言えるかも知れません。


 金子みすずも「星とたんぽぽ」でこう言っています。


「青いお空のそこふかく、

海の小石のそのように

夜がくるまでしずんでる、

昼のお星はめにみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ」

 

目には見えませんが、いまもありありと働き、私たちを導いてくださっている神様に手を合わせます。

見えないことを「ない」ことにするのが科学です。


知らぬ間に作り上げた「私」という錯覚が、見えないものをないものにしてしまいます。

すべてつながっている世界から、ちぎれてゆき自ら分かれてゆくのでしょうか。

それが自分なのですね。


分ける世界から、一つの世界へと還る時がきています。


そのお手本を世界に示すのが、日本の役割であり、今回この時代に日本を選んで生まれてきた魂のやるべきことではないでしょうか。

 

松尾芭蕉が伊勢神宮を訪れたときの俳句です。


「何の木の花とはしらず

   匂哉(においかな)」


西行に対する見事な返歌です。

涙こぼるる西行も、霊の息吹をにおいと呼んだ芭蕉も素敵過ぎじゃありませんか。


 

今日はわが師、糸川英夫博士の命日。

先生を偲び、先生の声に聞き、心を天の先生に寄せて参ります。

やまとこころに火を燈して今日も一日まわりを自分から明るくさせていただきます。