アンさんは、私の心の母、かけがえのない恩人。
人生の師匠。
感謝してもしきれない大切な方。
2014年12月23日の夜中に信州、丸子中央病院で突然亡くなりました。
信じられない思いで350キロの道のりを走り、懐かしいあの家に向かいました。
そこに静かに眠るように、アンさんは横たわっていました。
私が29歳のときから今日まで、ずっとアンさんは我が人生の師匠。
アンさんとの出逢いがなければ、今の私はありません。
人生の救い主。
糸川英夫博士を天に送った日から15年。
同じ場所で、アンさんとお別れしました。
アンさんは、糸川先生の奥さんではありません。
1999年3月11日の週刊新潮に「ロケットの父糸川英夫氏の『常人ならざる』人生」という追悼記事があり、
そこにこんな風に書かれています。
「・・・ 昭和42年、自らが草創期を作った東京大学宇宙航空研究所を経理問題で辞任する際に女性の存在が囁かれた。
糸川氏には、もちろん夫人も息子もいたが、曰く、「その女性とは自然な関係」。
だが、その後、交際は深まった。
結局、離婚せず、この女性と生活を共にするように。
「最初に会ったのは、ペンシルロケットの頃です」
と、語るのは、くだんの女性、岩泉定江さん。
「私の立場から言えることではありませんが、長い年月のうちに、次第にご家族とのつながりも薄れて・・・籍を入れようなどという話は出たことはありません。
それは、仕方のないことですから・・・」
平成2年、音楽ホールの建設構想に関わった縁で、長野県丸子町に住居を構えた。
東京でなくても、何一つ不自由はないという考えだった。
・・・・ 」
岩泉定江さん・・・それが、私の心の母 アンさんです。
アンさんにも夫と子供たちがありますから、常識では測れない糸川先生とのつながりです。
糸川先生とアンさんの間にあったもの。
それは、この世の常識や、人がつくったルールを一切超越した
「愛」
でした。
27年間にわたるアンさんとの日々の中で、私が魂に刻んだものは「愛」です。
いまも数えきれない場面が胸にあふれて、涙がこぼれそうになります。
寂しいわけでも悲しいだけでもない、とてもあたたかな気持ちになるからです。
初めてアンさんに出逢ったのは、1989年7月23日
糸川先生の東京のお宅で、旧約聖書に学ぶ勉強会に参加させていただいた日でした。
テーマは「モーゼに学ぶリーダーの引き際」
その日に、私はこの先生の弟子になろうと決めました。
世田谷のその家は、実はアンさんの家でした。
糸川先生は、すべてを妻子にわたし、裸のままアンさんのところに出てきたからです。
初めてのその日、泊めていただいたのですが、眠れませんでした。
明け方、ふと物音に気付き、そっと玄関の方を見ると、
アンさんが、私たちの靴を磨いてくださっていました。
泣きました。
イスラエルと日本を結ぶ協会を立ち上げて欲しいと、イスラエルの大学から糸川先生にオファーがあったとき、糸川先生は悩みました。
当時、イスラエルとつきあうことはタブーであり、すべてのキャリアを失うことになりかねない時代でした。
そんなとき、アンさんは
「何いってんの! 国がなくなって帰るとこがなかった人たちが、やっと帰るとこができたんじゃないの。
助けてやんなきゃだめでしょ!!」
その一言でできたのが、日本テクニオン協会であり、イスラエルツアーです。
アンさんとの思い出は、語りつくせません。
どんなときも自分のことは捨てて、人の喜ぶことしか考えない母でした。
そして、世界中のだれよりも糸川英夫を愛した人でした。
糸川先生が倒れ、病院で寝たきりになった時ずっとそばにいたアンさん。
アンさんは、動けなくなった糸川先生の手を握り、
「私は今、一番幸せだわ。
英ちゃんがやっと私だけのものになった」
と言いました。
そばで聞いた私は、泣きました。
2年間も寝たきりだった先生が亡くなった時、まったく床ずれがなかったことに丸子中央病院の院長が
「こんな献身的な介護はいままで見たことがない」
と告別の挨拶で号泣しました。
そんなアンさん、糸川先生がいなくなってから一年間、毎日毎日泣いていました。
早く死にたい。
ずっとそう言っていました。
でも、それから15年
アンさん 生きていてくださいました。
アンさん、
アンさんのおかげで今の私があります。
糸川英夫博士は、
隼戦闘機やロケットを作ったけど、
アンさんと糸川先生が、
作ってくださったのが今の赤塚高仁です。
私もあなたがたの作品です。
もう少し、この世でやらなければならないことがあるようですから、私の旅は続きますが、
どうか、天から見守ってください。
あなた方の弟子として果たすべきお役を果たし、もう一度再会できる時を楽しみにしています。
アンさん、糸川先生と一緒かな?
先生 笑ってますね。
イスラエル、10月にも行きます。
イスラエルのどこの場所にもアンさんを感じます。
そのうち、そちらに行きますから
旅の報告は、まとめてそのときに。
アンさんと糸川先生の物語は、この本に