糸川英夫博士、生誕109年


  思い出詰まった先生の家で

   先生のことを語る。


 何度も熱いものが込み上げて、

  言葉につまりながら

 先生からいただいた大切なものを確かめる。


    そんな時間に立ち合ってくれた

  大切な仲間たち。


  先生はいつも言っていました、



 「よき友と逆境こそ人生の宝


   すべて生物は逆境のとき成長するのだから」



 糸川英夫を語ることより、

  学んだことを実践して生きる。


 もっともっと師匠と対話を続けたい。


 真実の対話は、死に別れてから始まりました。


 



自分を良く見せたいという想いは、

謙虚な学びにつながりません。

でも、

人に役立ちたいという願いは、

虚栄心を消し去って魂の向上となる。


 糸川英夫は、最後の最後まで謙虚でした。

葬式はしなくていい、

香典を受け取ってはならない、

花もいらない。


 信州の小さな焼き場で骨を拾いました。


先生はしあわせな人生だったと思います。

  先生は、誰とも自分を比べなかったから。


 

 人が不幸になるのは、実に簡単です。

自分を誰かと比べれば、瞬時に不幸になれます。


幸福感を誰かとの比較で得ようとするので、常に自分より不幸な人を探します。

しかし、この比較意識は終わりのない螺旋階段・・・

果てしない地獄です。


 虚栄心は、自分のことを等身大でなく、現実以上に人に評価されたとき「嬉しい」と感じる気持ちです。

それを喜び、見栄っ張りになってゆきます。


虚栄心が強く、見栄っ張りの人ほど、中身が何もありません。

ない中身を、より大きく、より豪華に見せようとするので、身の回りを虚栄心のカタマリで飾ります。


アパート暮らしの独身女性が、シャネルのブランド品を買いあさるのもその典型です。

何千万円もする高級外車に乗る男性も、高級ブランドのバッグをぶら下げる女性も、虚栄心のカタマリでしょうか。

 

 そこから抜け出すことが、天国への一歩です。

まず、

他人と比べることのむなしさを知ることです。

比較競争から降りて、

人は人、自分は自分にしかない命を生きているのだと知り、その等身大の自分で誰かの役に立ってゆく喜びに入るのです。

だから、

外見よりも内なるもの、知識や教養、知恵といった見えない美徳で豊かになることの方が、ずっと大切だと気づくのです。


隣りのテレビより自分ちのテレビが大きいと自慢するのでなく、そのテレビで、自分を豊かにする番組を選択し、そこから得た情報を自分の向上のために活かし、人のために役立てることです。

 

 「命は自分のために使うものじゃないよ、

    人のためにあるんだ」


 いまも先生の声が聞こえてきます。

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