1999年2月21日未明
糸川英夫博士は、天に還ってゆきました。
86歳でした。
同じ仕事を一生続けることより、「自分は十年に一度、仕事変えてきた」と糸川先生は少し誇らしげに話してくれました。
22歳で中島飛行機の航空機「隼」を設計し、
29歳で東京大学航空研究所に移り、
36歳で音響工学を研究し、
42歳でロケット開発を始め、
55歳で組織工学研究所を設立し、
60歳で始めたバレエで、帝国劇場の舞台に立ち。
62歳でベストセラー「逆転の発想」を書き、
72歳でイスラエルとの協会を立ち上げ、
80歳でバイオリンを制作した。
何かにしがみつくよりも、
得たものを手放すことの方が難しい。
だから、
手放すことを考えてきた。
そして、
誰かに出来ることなら自分の仕事ではない。
「前例がないからやってみよう!」が、
人生のテーマだ。
糸川英夫先生は、私にそんな生き方を見せてくださいました。
行動の人でした。
人は、やってみなければ、
それができるかどうかなんてわからない。
そして、
やってみると大抵の場合、可能なのです。
それを知るのはやってみたときです。
神が創造したこの宇宙で、
一番目につきやすいものは、
何に関しても
「あなたにはできない」
と告げる人々です。
彼らの言葉に耳をかすな!
と糸川先生は身をもって教えてくださいました。
この世で最も強い人とは、
自分の力を信じている人
あえて望みを高くもつ人
人生で得たいと思うものを自信を持って追い求める人
だということを
糸川英夫先生は教えてくださいました。
「前例がないからやってみよう!」
それこそ、ここからの時代を生きる最高のパスポート
ようやく時代がイトカワヒデオに追いついてきたようです。