北海道は石狩にある
「樋口季一郎記念館」に
先月に引き続き、仲間とともにやってきました。

 「知らないことも知らない」世界から

 「知らないことを知っている」世界

 そして
 「知っていることを知っている」世界へ


 学ぶことは、生きること。


我が魂の妹、
 時に鬼編集長、山内尚子が発刊している
きれい・ねっと週刊メルマガ
 「神理の一滴」に紹介していただいた、
私の新刊
「ユダヤに学ぶ 変容の法則」


(引用ここから)

ヤマトとユダヤ、日本とイスラエルが、
同じアジアの民であるということは
あまり知られていません。

けれど先の大戦中には、そのことを認識し、
ヒトラーのユダヤ人弾圧が猛威をふるっていたころに、約2万人ものユダヤ人難民を救出した日本人がいました。


特務機関長として満州国ハルピンに勤務していた陸軍中将(当時は少将)樋口季一郎です。

日本では、外交官としてユダヤ人難民を救済した杉原千畝(ちうね)ほど有名ではありませんが、イスラエルの「黄金の碑」には「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と刻印され、その名はイスラエル建国の功労者として顕彰されています。


兵庫県淡路島出身、両親の離婚などを経て、18歳で岐阜県大垣市の樋口家の養子となった樋口中将。

1938年3月、迫害を逃れ、ソ連を通過してソ連・満州国境オトポール(現ザバイカリスク)で立ち往生していたユダヤ人難民に食料や燃料を配給し、満州国の通過を認めさせました。


ドイツと同盟関係にあった中でのこの行為は、わたしたちが思う以上に危険な行為でした。

しかもオトポールでの救済の直前、1937年12月、樋口中将はハルピンで開かれた「第一回極東ユダヤ人大会」においてユダヤ国家建設に賛成するあいさつを行ってもいたのです。

なぜ、樋口中将は命をかけてユダヤ人を救済したのでしょうか?

『陸軍中将樋口季一郎回想録(以下、回想録)』(芙蓉書房出版)によると、樋口中将は1919年に特務機関員として赴任したウラジオストクで、ロシア系ユダヤ人の家に下宿していました。

ユダヤ人の若者と毎晩語り明かして親交を深め、ユダヤ問題を知りました。
さらに、ワルシャワ駐在陸軍武官として25年から赴任したポーランドでは、人口の3分の1を占めたユダヤ人が差別と迫害を受けるという流浪の民族の悲哀を垣間見ました。

実は、当時樋口中将自身も有色人種として差別を受けていました。

下宿させてくれる人がいなかったのです。

そんな中にあって、樋口をはじめとする日本人を差別することなく下宿させ、助けてくれたのがユダヤの人々だったのです。


また、『回想録』によると、コーカサス地方を視察旅行した1928年、ジョージア(旧グルジア)のチフリス(現在の首都トビリシ)で、玩具店のユダヤ人老主人から、ユダヤ人が世界中で迫害される事実を吐露されました。

そして、「日本は東方の国で太陽が昇る国。日本の天皇こそユダヤ人が悲しい目にあった時に救ってくれる救世主。日本人ほど人種的偏見のない民族はない」と訴えられたのです。

語り終えた老主人は、こぼれ落ちる涙をぬぐおうともせず、困惑する彼らの前で祈りを捧げ始めました。

樋口は老人の言葉を、たわいもない妄想と片付けることはできませんでした。
老人の顔に刻まれた深い皺とその涙に、流浪の民の悲哀、そして救いを希求してやまない民族の悲劇を垣間見た思いがしたのでしょう。


これらの体験がユダヤ人難民救済へと、樋口中将を駆り立てたのであろうことは想像に難くありません。
加えて、37年にドイツに短期駐在した際に、ナチスの反ユダヤ主義に強い疑念を抱いたこともあったと思われます。


この命がけの人道的な救済が日本人に知られることはありませんでしたが、後に多くのユダヤ人にその功労を讃えられる機会が訪れました。

ユダヤ人たちの拍手と歓声鳴りやまぬ中にあって、樋口は一言、「私は人間として当然やらなければならないことをやっただけである」とつぶやいたといいます。


このようなお話だったのですが(おいおい、編集者!なんでこんなすごい話をボツにしたの?というお話はまたいつかの機会に)、先日開催された「ヤマト・ユダヤ友好協会設立総会」に、なんと樋口中将のお孫さまにあたられる音楽家・指揮者の樋口隆一さんがいらしてくださっていました。

そしてそこで、孫だからこそ聞くことのできた樋口中将の本音を教えてくださったのです。

「私は暖かいところに生まれ育った人間だからね。
寒いのがめっぽう苦手なんだよ。
だから、寒さに凍えている人たちを放っておくことができなかった。
ただそれだけのことなんだよ」。

……ああ、なんだ。
そういうことだったのか……。

一瞬心がゆるんで、涙が流れました。

本当のやまとこころとは「こうあるべき」といったものではなくて、理由や理屈を超えた愛ある優しさにあるのです。
それに素直に、しかも即座に従われた樋口中将のお持ちになっていた心こそ「本当のやまとこころ」なのではないでしょうか。

そして、それならば、偉い人ではなくても、わたしたちにも持ち合わせていることが感じられるし、すぐに始められる。
そんなふうに思えたのです。

未曽有の危機と言われ、大きな変化の時代と言われ、変容が叫ばれるいまこの時にあって、何より大切なことを教えていただきました。
樋口中将に、そして赤塚高仁さんにあらためて心より感謝します。

『ユダヤに学ぶ「変容の法則」』は、このエピソードをカットしなければならないほどに大切なことが詰まった、「本当のやまとこころ」を学ぶことのできるご本です。
どうぞ多くの方にお読みいただけましたら幸いです。
(引用ここまで)


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 いい本です。

 編集長に感謝します。