先生!
  ステキな仲間たちを連れてきたよ〜



 旅の仲間がFacebookに投稿してた
ステキな文章紹介させていただきます。



(引用ここから)

「九州で学ぶやまとこころの旅」

2日目

今日は 赤塚先生の師匠
「日本の宇宙開発の父」
と呼ばれる糸川英夫博士の
アイデアで山を切り開いて建設された
世界でも珍しいロケット発射場。

内之浦宇宙空間観測所に向かわせて頂きました。

内之浦宇宙空間観測所では
わが国初の「おおすみ」を含む30機あまりの人工衛星、探査機を打ち上げ、宇宙科学研究に多大な貢献を果たしています。

1970年2月11日
世界で4番目の人工衛星
「おおすみ」

2003年5月9日
太陽系探査機「はやぶさ」

が打ち上げられたのは
有名ですね。




「糸川先生❗️
みんなが会いに来てくれましたよ。」

と…
糸川先生の銅像の前で

赤塚先生は嬉しそうに
幸せそうに
まるで糸川先生がそばにいるように声をかけられていました。

まるで子どもが自慢のお父さんを語るように

赤塚先生はたくさんのエピソードを私たちに語って下さいました。

「糸川先生のそばに
10年間いて  一度も
ロケットの話を聞いたことがなかったんだよ❗️」

でも、そのことは
糸川先生にとっては
もう終わったことだったんだよね。

糸川先生の頭の中には
自分のシナリオがある。

そのシナリオの後ろ側に
ある偉大なる力が
糸川先生を動かしているように私は感じてなりませんでした。

だから終われば
次がやってくるのではないでしょうか?

偉大なる力?
神さまからの願いを
糸川先生はキャッチしていたのでしょうね。

だから すべての名声  
すべての名誉などいらなかった。

ただ ただ前へ向かって進むだけ❗️

世界中の平和を繋いでいっているのではないかと感じました。

私は  ハヤブサに生命を感じてならないのです。

愛おしくてならないのです。

地球は人類のゆりかごである。

命はすべて地球というゆりかごの中で育まれ
人間はいつまでもゆりかごにとどまっていてはいけない

このゆりかごの外の世界へ
飛び出すこと

そこに真実なるものがあるように私は思います。

当たり前は当たり前ではない。

国があることは当たり前ではない。

2000年間、国がなかったイスラエルから学ぶことを糸川先生は聖書という知恵の書を通しておっしゃったのではないでしょうか?

それが日本人が学ばないといけないことではないでしょうか?

特攻隊の人たちは
操縦桿をどちらに倒すかを選ぶことができました。

でも 彼らは操縦桿を前に倒して 敵艦に突っ込んでいきました。

それが守られた世界から外へ飛び出したということではないでしょうか。

だから今 私たちの日本は
2681年 続いてきたのではないかと思います。

赤塚先生も聖書漫談師として操縦桿を前に倒したのではないかと。

これはあくまでも私が感じたことです。

赤塚先生はおっしゃいました。

人は二度死ぬ。

一度は 肉体が滅びた時

二度目は すべての人の記憶から消し去られた時

だから  糸川英夫を生かし続けるために 語り続けてゆくと

糸川先生のことを伝えられる幸せ。

永遠に繋いでいける
伝わる相手がいる❗️

バトンを繋いでいける仲間

それがこのうえない幸せなのだと

赤塚先生の笑顔が物語っているようでした。

その笑顔を見ているだけで
私も嬉しくて 幸せになりました。

糸川先生の足跡を
今日は素敵な仲間と一緒に旅をすることができました

この奇跡に感謝しかありません。

赤塚先生が語り継ぐように

私も赤塚先生の遺伝子を
ヤマトのこころを受け継いで生きたい❗️

特攻隊の人々の話を語り継ぐことで  彼らも生き続けることができるのです。

出来ない理由は言わない❗️

直感を信じ 自分で考える❗️

感謝と感動を忘れることなく  いつも  いつまでも
好奇心いっぱいで💪

糸川先生から一本の電話が入る❗️

「赤塚君、今日のちびまる子ちゃん、見た~」

(笑)(笑)

ありがとうございます💖

愛と感謝を込めて~」
(引用ここまで)


  ありがとう。
   みんなと来られてよかった。



 糸川英夫の私への遺言

自分で考えよ

  私の人生の宝となっています。


 61年前に作られた
 オンボロのロケット発射基地


  ここから世界を驚愕させた
「はやぶさ」が旅立った。

  イプシロンが飛び立つ。

  日本はすごい!

 


 イプシロンの打ち上げ、見たい!!


  糸川先生、また
   仲間たちと来ます!