我が師・糸川英夫の命日です。
1999年2月21日
明け方
天に還ってゆかれました。
脳梗塞で意識が戻らず、
ずっと寝たきりだった先生を
病院で看病し続けた
アンさんも、
いまはもういない。
先生のそばで
笑ってる
何年も入院していた
長野県丸子町の中央病院
糸川先生の通夜の席で、
丸子中央病院の院長が、
「私は、
自分の病院の看護婦は
良い看護をしているという
自信があります。
でも、
2年間寝たきりの糸川先生に、
まったく床ずれが見られない。
そんな患者みたことない
あんな看病みたことない
アンさんの看護には到底敵わない」
と、号泣されたのを
思い出します。
22年 あっという間に過ぎました。
あの日40歳の私は、
先生を失って途方に暮れました。
糸川英夫に依存していたのでしょう。
亡くなってしばらく落ち込みました。
名前も変えて、
「赤塚仁英(じんえい)」
と、先生の一字をいただき
6年間も過ごしました。
やがて理解しました。
「依存」は
「恐怖」しか生まないと。
そのことに気づいて
赤塚高仁に帰ってきました。
大きな学びでした。
糸川英夫が最後に私にかけてくださった言葉は、
「自分で考えなさい」
でした。
29歳で糸川先生にお出会いいただき、
人生が根っこから変わりました。
出会いが人生を変え、
縁で人生は創られてゆきます。
東京四ツ谷の朝です。
今日は、茅ヶ崎で午後から
2回講演。
明日は、鹿児島へ飛び
知覧
富屋食堂応援ツアー
オンラインで現地から講演します。
富屋食堂の寄付とさせていただきます。
どうぞ
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ご支援をお願いします。
そして、
23日は、糸川英夫が開拓した
大隅半島にある
内之浦宇宙空間観測所
そうです、
世界で4番目の人工衛星
「おおすみ」1970年2月11日
あの太陽系探査機
「はやぶさ」2003年5月9日
打ち上げた場所へとガイドします。
糸川英夫生誕100年を記念して
建てられた銅像が太平洋を
見下ろしています。
「祖国を愛する」
人として最も大切なことを
私に教えてくれた師匠。
私は語り継いでゆきます。
いつか、
誰かにバトンを渡すその日まで。
旅は
どこへいくかより、
誰と行くか
人生という旅も
誰と歩むか
今日は糸川英夫博士の命日です。