市ヶ谷の自衛隊グッズのお店で、
愛犬マロンの帽子を買ってきました。

 イヌのお巡りさんならぬ、
イヌの自衛官です。


 我が家で過ごすときは、
ほぼ読書をしているか、書き物をしています。

 食事がカラダを作るように、

 読書がココロを作ります。

話し続けているうちに講演が上手くなるように、書き続けているうちに、文章も上達します。

 コツコツ  コツコツ 

これが、上達のコツです。




 
 さて、

中高生の読解力の試験にこういう問題がありました。

「幕府は、ポルトガル人を追放し、
大名には沿岸の警備を命じた」


「ポルトガル人は追放され、
幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」


この2つの文について中学生の43%、高校生の28%が同じ意味だと答えたと言うではありませんか。


これでは本も読めないし、

文章がほとんど理解できないのではないでしょうか。



ご飯を食べるように、読書をすると言う事はとても大切なことで、テレビや携帯電話スマホの向こうからやってくる情報だけでは文章は読み解けないはずです。


私は特別文章の訓練をしたことがありませんが、
読書をして、こうして毎朝書き続けて、3000本以上のブログをアップしています。

 5,000文字ほどのメルマガも230回以上

月刊誌の連載や、

書き下ろしの本もあります。


毎日少しずつの積み重ねが、1冊の本となって書店に並ぶまでにはなりました。


少しは筋肉がついたのかも知れません。


今、小学校から英語を取り入れるなど教育が変わってきていますが、
母国語が使いこなせなければ思いを伝えることなどできません。


思考とは言葉することに他ならないのですから。

大切なことを置き忘れたまま私たちはどこに向かって行くのでしょうか。

世界で一番美しい、日本語はどこにいってしまったのでしょう。


明治20年ころ、文明開化が進む当時の日本は日本語などなくして英語を母国語としなければならんと訴えた文部大臣も出たほどです。

世間は立身出世、自己実現、自分の成功のために人生を進む人たちで満ちあふれていました。


ある中学校を視察された明治天皇に1人の学生が英語でスピーチをしました。
明治天皇はその学生と教師になぜ朕に英語で話すのかと聞くと、2人とも何も答えられなかったそうです。


英語や自己実現のための勉強が増え、修身や道徳の授業が捨てられていくの目の当たりにした明治天皇は

このままでは日本は滅びる

と直感され、

国を立て直すために日本にとって1番大切なことを思い出すために、「教育に関する勅語」を発布されたのです。


明治23年10月30日のことでした。

命令ではなく、してくれないだろうかと国民に訴えかけるような文章で終わっています。

ですから、

教育勅語は法律ではなく、天皇から国民へのお願いなのです。

 

教育勅語は軍国主義をもたらしたいけないものだと批判する声ばかりですが、誰も読んでいません。


読めばわかります。
それとも、
理解する能力がなくなった人たちの遠吠えでしょうか。

 いいえ、誰も読んでいません。

 私に教育勅語の批判をする人で、読んだ人はいません。 暗唱しているのは、中村文昭さんくらいです。


私は、教育勅語を取り戻したいと願っていますが、
中高生の読解力が押していく中で伝えていくのがますます厳しくなっていきます。


1日も早く日本の隅々まで教育勅語を届けたいと、思わせられてならない朝です。


 「お父さん、日本のことを教えて!

には、教育勅語のことも、草案を作った井上毅のことも書きました。

 いま一度お読みください。