【光る君へ】第27回

「宿縁の命」回想 

観たいと思っていた
例の
和歌屏風が
ちゃんと形になって
テレビに出たことは
大変よろしかった
 
 
実資だけは
求めに応じず
 
求められても
いないのに
わざわざ
歌を送って来る
花山院・・・・
 
これはね
とっても
観たかったシーン
でした
 
 

 

 

 

 
藤原実資は
名門小野宮流の
御曹司
 
いつだって
筋を通す人
 
先例に
無いことには
応じないですし
 
几帳面な
性格だったのだし
 
権力に阿ることも
したくない人です
 
 
先日、お講義で
読んだ
「紫式部日記」にも
 
実資は
敦成親王誕生後
五十日の祝いの日に
 
土御門第で
女房の袖口を
点検しており
 
(華美を禁じているのに
贅沢をしていることを
糾弾しようと
袖の色目を
数えていたらしい)
 
そこに
シンパシーを感じた
紫式部に
声をかけられて
いましたよ
 
実資さんって
真面目そうに
見えますが
実は
好色な一面もあり
 
(娘が欲しくて
 焦っていた
 という説もあるが)
 
女と見れば
見境がないやら
いう
噂も聞きます
 
紫式部は
それについては
知っていたのか?
知らなかったのか?
 
言い寄られたのか?
そうではないのか?
 
いずれにせよ
実資が彰子に
啓する時に
取り次ぎをして
いた女房が
為時女であった
というのは
小右記に
記載があります
 
 
生真面目な
ところやら
 
ものを
俯瞰して見てるやら
斜めに見てるやら
 
共通性も多々あり
 
紫式部の
ソウルメイトは
実資こそが
相応しいと
私は思います
 
 
 
 
 
 
あの
和歌屏風は
一条天皇に
見せて
 
上達部たち
からの
プレッシャーを
感じろや
ゴラァ
 
というのが
主目的の
お道具です
 
つまり
道長方からの
政治的示威行動の
権化ともいうべき
屏風です
 
 
 
おっそろしい
ものを
背負って
現れた彰子を
 
一条天皇は
どう見たのか
 
 
 
ま、私が帝なら
ケッ、
だから
何??
って思うだけ
だけど
 
ニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリニヤリ
 
 
 
 
まあねぇ
 
まだまだ
子どもなのに
こんな年寄りの
嫁にされて
申し訳
なかったですね
 
ごめんね
ごめんね〜
 
という
儀礼的で
冷ややかな
あの対面シーンも
 
彰子にしてみりゃ
どう応えて良い
ものやら
 
サッパリ
わからない
ですよね
 
満11歳は
今なら
小学五年生
ですから
 
真の意味での
婚姻関係なんか
結べませんしねぇ
 
 
 
対する
一条天皇だって
年寄りと
自嘲する割に
二十歳にも
なってない
 

 

 

どう見ても

人身御供ですよ

 

 

 

 

 

 
 

 

一帝二后について

 

道長は

安倍晴明

アヴェの

サンタマリアに

唆され

ズルズル引きずられて

いるかの様に

描かれて

いるけれど

 

そんなわけ

ないでしょ

 

道長は

 

どうにかして

中宮定子を貶め

その権威を

失墜させて

 

生まれて来た

第一皇子の

依って立つ地盤を

揺るがせたい

 

強く、強く

思っています

 

 

 

ドラマでは

描かれていませんが

 

出産のために

平生昌邸へ行啓する

定子さまへ

あからさまに

邪魔をしたことも

しっかりと

形跡が

残っています

 

行啓のための

行列を

仕立てることさえ

儘ならなかった

 

陰湿な

いじめを

これでもか

これでもかと

仕掛けて

きていました

 

 

 

虎視眈々と

定子を

貶める算段を

しているときに

 

一帝二后にする

理由について

こじつけを

編み出したのは

誰あろう

 

藤原行成



です

 

行成は

 

定子は

后とはいえ

出家して

いるから、

神道に

まつわる

藤原氏の

祭祀も

行えない。

 

いま

中宮に

とどまって

禄を得て

いるのは

禄盗人の

ようなもの。

 

だから

彰子も

后にして、

祭祀を司る

必要がある。

 

と言って

帝を

唆したそうな

 

 

 

しかしながら

私たち

「枕草子」ファンは、

 

行成こそが

帝と中宮定子の

応援者だと

信じて

いなかったか?

 

私は、ずっと

行成は

清少納言とも

連携をとって

定子さまを

支えてくれている

のだと

信じていたん

だけどなぁ

 

どうやらそれは

思い違いだった

ようで・・・・

 

 

 

とはいうものの

 

この辺は

非常に

複雑

なのですよね

 

 

実は

行成の日記である

権記に

 

皇后に

押し上げられた

定子さまが

三人目のお子を

出産直後に

亡くなったとき

 

皇后

諱〈定子。〉、

前関白

正二位

藤原朝臣の

長女、

母、高階氏。

 

正暦元年春、

入内し、

女御と為る。

 

冬、

立ちて

皇后と為る。

 年十四。

 

長徳二年、

事有りて

出家す。

 

其の後、

還俗す。

 

所生の皇子、

都廬三个。

敦康・脩子、

又、

新生の女皇子

なり。

 

立ちて十一年、

崩ず。

 

年二十四。

 

皇后諱〈定子。〉は、前関白正二位藤原朝臣(道隆)の長女、母は高階氏(貴子)。正暦元年春に入内し、女御となった。冬に皇后となった。年は十四歳。長徳二年に事件が有って出家した。その後、還俗した。産んだ皇子女は、合わせて三人。敦康・脩子、また新たに生まれた女皇子(子)である。后に立って十一年にして死去された。年は二十四歳。

 

藤原 行成. 権記 

ビギナーズ・クラシックス 

日本の古典 (角川ソフィア文庫) . 

株式会社KADOKAWA. Kindle 版. 

より抜粋

 

 

と書いています

 

行成は

ちゃんとね

日記には

「還俗す」

って書いてあるの

 

だったら

だったら

 

なんで

大原野神社の

神事が

司れないから

二人目の妃が

要るだとか

しょうもないこと

言うのよ‼️

 

行成は

一帝二后の成立に

関わって

 

それを

道長に

感謝されて

 

末代まで

君の子孫を

疎かにしない

 

って

 

道長に

約束して

もらったの

ですよ

 

そりゃね

行成だって

 

出世して

子孫の繁栄も

目指して行かなきゃ

ならなかったのは

百も承知で

言うのですが

 

酷い

じゃないの‼️

 

ムキームキームキームキームキームキームキー

 

 

清少納言も

定子さまも

一条天皇でさえも

 

どんなに

行成を

頼みに思って

いたことか

 

 

行成は、しかし

慚愧の念に

苛まれたか

 

定子の残した

敦康親王を

大切に大切に

お守りして

いきます

 

親王家の別当

として

親王が

亡くなるまで

ずっと

面倒みて生きます

 

 

一帝二后に

ついては

 

安倍の

サンタマリア

よりは

 

行成の

関わり方について

もっと詳しく

描いて欲しい

と思います

 

そして

行成の

複雑な心情も

きちんと描いて

欲しいものです

 

 

ただね

そもそも

清少納言と行成の

精神的交流も

きちんと

描いていない

ところを見ると

 

そんな気が

まるで

ないんでしょう

かね

 

期待はできません

 

 

まあでも

サイは

投げられました

 

幼い彰子さまが

不憫では

ありますけれども

 

父親の

権力維持のために

入内し

 

皇子を

産まなければ

ならない

 

という

第二レースは

始まって

しまいました

 

 

でも、同じ

境遇にあった

ロールモデルは

今まさに

目の前にあって

 

同じ夫の

妻である

定子さまは

同じ目的で

入内して

今があるわけです

 

そして

定子さまは

父親を失って

権威が失墜して

今の憂き目が

あるわけです

 

この時代の人たちも

先が見えないのは

今の時代の私たちと

全く同じです

 

彰子さまは

今のところ

自意識のない

頼りない娘のように

描かれていますが

 

徐々に、自分の

置かれている立場を

理解できるように

なるでしょう

 

父親が流行病で

早世でもした日には

 

あっという間に

自分も

定子さまと

同じ立場に

なるかもしれません

 

そんなことに

なったらどうしようと

恐れる気持ちに

 

押し潰されそうに

なりませんか?

 

普通だったら

 

先々のことを

考えて

悩むことも

あるでしょう

 

でもね

あれだけ

のんびりした

性格だったら

むしろ大丈夫かも

しれません

 

何が幸いするか

わかりません

 

 

それより何より

この先はきっと

 

「産め」「産め」

「皇子を産め」

 

という

セクハラまがいの

プレッシャーとの

戦いです

 

 

入内して

幸せになるのは

非常に

難しいことです

 

彰子さまも

難儀な目に

遭わされる訳で

お気の毒な話です

 

平安時代は

女の子が

父親の政治の

道具にされる

とんでもない

時代でしたね

 

 

 

 

 

入内して間もない

彰子を

女御にする

という

宣命が下された日

 

奇しくも

同じ日に

 

敦康親王が

お生まれになります

 

一条天皇の

第一皇子です

 

中宮が

産み参らせた

今上の

第一皇子です

 

本来なら

国を挙げて

お祝いせねば

ならないのに

 

敦康親王が

生まれたのは

中宮大進

(中宮職の三等官)

平生昌の家

 

三条に

ありましたので

竹三条宮と

呼ばれる屋敷です

 

生昌は

地方官を父親に持つ

備中国出身の

 

たかが

国司になるやならずの

官僚です

 

兄は

道長家の家司

平惟仲

 

惟仲は

中宮大夫だったの

ですが

直前に辞任したのです

 

世間は

本当に冷たい

 

没落した

中関白家とは

関わり合いに

なりたくないという

ことなのでしょう

 

道長の

嫌がらせは

ずっとずっと

定子さまが

亡くなるまで

続くのでした

 

 

 

ドラマでは

どんなに隠蔽

しようとも

 

歴史の真実は

消すことが

できません

 

道長の悪行を

とくと

ご覧じ

(ごろうじ)

くださいませね

 

というわけで

今夜もやっぱり

観るしかない

 

えーんえーんえーんえーんえーんえーんえーん