なぜ

今の今まで

隠していたのか

 

もはや

産み月まで

ふた月を

切っているかと

思われますのに

 

 

実際には

どうだったのか

よくわかりませんが

 

栄花物語には

身重になった定子が

里(二条北宮)へ

下がっている

ところへ

伊周らが

逃げ込んだ

というふうに

書かれていて

 

ならば一条天皇が

知らなかった

というのは

ないだろうと思われ

 

道長と天皇が

今更知ったように

ドラマは

描いていましたが

 

それは

あのシーンを

際立たせるため

だったのか

思われました

 

 

 

 

 

 

 

 御簾を

上げさせて

出家した姿

鈍色に

服喪している姿を

道長に見せつけて

 

懐妊していることを

告げる定子さま

 

これを

印象的に見せる

ためだったのでしょう

 

 

 

母の喪に服して

鈍色の衣を纏って

いたわけです

 

父の喪は

すっとばかして

おいて

よくもまあ

今更

とは思いましたが

 

それはまあ

大目に見る

とはしても

 

身重になった

妊娠初期の定子を

一条天皇は

見ているはず

なのですが

 

まあそれも

置いておいて

 

 

 

 

懐妊を

打ち明けられて

力になって欲しいと

頼まれてしまった

道長

 

ものすごい形相を

していましたね

 

いやまあ

それは本心

でしょうけれど

 

平安貴族の道長が

あそこまで

露骨に嫌な顔を

するものかしらねぇ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

定子さまの作戦は

「窮鳥入懐」

窮鳥懐に入るは

仁人の憫れむ所なり

 

窮鳥

懐に入るは

猟師も殺さず

 

とも言いますが

「猟師も殺さず」は

日本製らしいです

 

私は

 

窮鳥 懐に入らば

猟師も

これを撃たず

 

って

覚えていましたが

ちょっと

違っていたみたいです

 

 

 

 

しかし

定子さまは

なかなかの

戦略家ですね

 

でもこれは

危険と隣り合わせ

 

暗殺されたり

呪詛されたり

しかねない

わけですから

 

命懸けですよ

 

さりとて

内密に

誰にも知られずに

身ふたつになれるか

といえば

それも難しい

 

腹の中にいる

一条天皇と中宮定子の

第一子は

 

公の場で

産まないことには

闇に葬られて

しまうかも

しれません

 

この子を

守るためには

道長の手を借りる

他には

手がないのです

 

定子さまは

結局

三条高倉にあった

平 惟仲の邸で

出産することに

なります

 

惟仲は

生昌のお兄さんです

 

兼家の代から

九条家の家司を

務めてきました

 

つまり

道長は

自分の息のかかった

家人に

面倒を見させる

ことで

 

定子の動向を

しっかり把握し

 

中関白家と高階家に

皇子や皇女を

取り込まれないよう

布石を打った

 

ということに

なります

 

 

 

 

 

 

義子や元子といった

母方に

天皇の血が入った

高貴な

女御たちは

 

この先も

子を設けることが

できません

 

詮子の思惑は

大きく

外れてしまって

 

子どもが

できるのなら

相手は

誰でもいい

 

とまで言い出し

 

定子さまは

「産む機械」

として

重用されるのですが

 

 

そんな

詮子にとって

都合のいい話は

 

定子さまを

ますます

苦しめることに

繋がります

 

見るのが辛くなる回は

この先もずっと

続くのでした

 

 

 

 

あ、そうそう

播磨から母の臨終に

駆けつけてきた

伊周を

密告したのは

 

実資の日記に

よれば

中宮大進の

平 生昌

とのことです

 

そりゃね

生昌は道長の

手先ですからね

 

見逃して

申し出なかったら

生昌が

処分されますもの

必死です

 

 

伊周は

公任の計らいで

遠目ながら

母を

見送っていましたね

 

町田の公任の

武官姿

かっこいいですね

 

ロバートの実資

よりは何倍も

似合っていました

 

 

栄花物語によると

 

伊周は

貴子が生きている

うちに

西院で再会を果たし

 

そこで再び捕縛され

筑紫へ送られたことに

なっていて

 

訃報は筑紫で

聞いたらしいです

 

筑紫では

大宰大弐である

有国に

厚遇されたのだとか

 

兼家の左右の目

と言われた

有国と惟仲は

依然として

九条家に影響力があり

いろんな形で

絡んで来ますね

 

 

 

 

 

さて

失意のどん底だった

中関白家ですが

 

翌年の暮れには

赦されて

伊周も隆家も

都に帰って来ます

 

詮子が

病気になったので

その平癒祈願で

大赦に

なったからです

 

なんかね

やらかしたことが

大きい割に

赦される時は

呆気なく赦されて

 

なんだかな

って

思うのですが

 

平安時代の

罪と罰って

結構いい加減

なんですよね

 

つまりこれは

上つ方の

胸算用ひとつで

どうにでもなる

ってことです

 

とても

法が

機能しているとは

言い難い

 

そりゃ

越前にやって来た

宋人が通詞を

殺めたかも

ったって

裁きようがない

 

法治国家としての

体をなして

いないのですから

 

 

そもそも

今作での道長は

法の整備をこそ

進めたかった

という設定では?

 

直秀の話は

そういうことの

象徴でしたよね??

 

全然

何もできて

いませんよね

???

 

しようとすら

してないように

見えますよ

????

 

実際

道長が

そんな殊勝なことを

するとも

思えないです

 

だって

左大臣になった

今や

自分が法みたいな

ものなんですから