さわとまひろは

石山詣に出かけました

 

私にはちょっと

理解しかねることが

ありまして

 

それは、為時家の

経済状態でして

 

貧乏なようで

落魄している様子が

あんまりないのは

 

やはり

官職はなくても

収入源が

どこかに

あるんですよね?

 

先祖伝来の

豊かな荘園でも

お持ち

なのでしょうか?

 

まひろの

写本くらいでは

何ほどにもならない

でしょうけれども

 

為時がどこかへ

漢学を

教えに行ってるとか

でしょうか?

 

為時は

具平親王家の

家司だったとも

聞き及んでいますが

 

そうしたお家からは

何がしかのお手当が

出るんでしょうか?

 

でもまあ、家司を

務めているという

描写は

全くありませんしね

 

謎です

 

ですが

ドラマでは

まひろをさわと一緒に

下男の乙丸を

お供に付けて

旅に出せたわけです

 

そして

まひろは

石山寺で

道綱母の寧子と

出会いました

 

寧子とは

「蜻蛉日記」の作者

藤原倫寧女

藤原兼家妾妻

右大将道綱母

のことです

 

さらに

彼女を通じて

示唆に富んだ

啓示をもらいます

 

これは

おそらく

中宮定子のところに

出仕した

清少納言にも

通じることですが

 

「書くこと」は

己の悲しみを救う

 

というのは

このドラマの底に流れる

一番大きなテーマ

なんじゃないかなと

思っています

 

そして

そのテーマは

 

現代の

私たちにも通じる

というか

 

私たちも共感できる

普遍的なものだとも

 

私も

ドラマに触発されて

こうやって

記事を書いていて

思うのは

 

「書くこと」の喜びは

何物にも

代え難いってことで

 

もちろん

彼女たちのような

素晴らしい文学作品を

書いているのでも

何でもないけれど

 

文章を

綴っているときだけは

全ての憂さを

忘れていられるのです

 

これ以上の

楽しみはありません

 

 

 

 

これまで、私が

ウイカ納言と呼んできた

ききょうも

 

めでたく

清 少納言

と呼ばれる日が

来ました

 

推しと出会えた

あの喜ばしい顔

一生忘れません

 

初出仕の日

本当は、冬でした

本当は、夜でした

 

でも、いいです

 

この際、もう

何でもいい

 

あの場面を

見せてもらえて

私は

幸せです

 

幸せなのに

涙が出ました

 

書いていてさえ

涙が出ます

 

 

 

女流作家が

書き残した

数多の作品を

 

今の私たちが

こうやって

読むことができるのは

 

手で書き写した

写本が

長い年月かけて

伝えてくれたからです

 

紙と墨と筆

というツールも

奇跡的な

組み合わせだと思うし

 

最強タッグとしか

言いようがありません

 

ただ

書き写しただけ

ではなく

 

書き写されたものの

値打ちを知っていて

大切に保存してきた

たくさんの人々にも

 

心から

感謝したいと思います

 

 

 

 

 

 

権中納言さまの

ご感想や

 

専門家の解説とは

違って

 

私が書いているものは

野良犬の遠吠えに似て

 

ほぼほぼ

何の価値も

ないものですが

 

それでも

 

楽しみに

している

 

おっしゃる方が

いらして

 

どれだけ励みに

なっていることか

 

大変

嬉しく思います

 

そのことも、心から

感謝したいと思います

 

 

ありがとう

ございます