後継者は

兼家が指名した

道隆になりました

 

そりゃそうだと

ほとんどの人は

思っていたでしょう

 

行成も

なるようになっただけ

と、冷静でした

 

 

当然自分が

後継者に

指名されると

 

どういうわけだか

勘違いしていた

道兼は

 

道隆が

後継者だと知り

逆上し、

兼家を罵倒し、

出仕も

しなくなりました

 

父が若い頃

舐めた辛酸を

思い出して

臥薪嘗胆するとか

 

そういう方向には

行かないわけで

 

ちょっと

我慢する

 

ができないのは

 

後々の伊周も

そうですが

 

短慮が過ぎると

思うのです

 

人間は

窮地に陥った時にこそ

その真価が問われる

 

まあ

あんな風だと

人心も離れる

というもの

 

公任や繁子が

見限るのも

当たり前といえば

当たり前

 

繁子が選んだ

新しい男が

兼家家司だった

平惟仲らしいので

 

いや〜〜〜

天皇の乳母って

利用価値

あるんだなぁ

 

って

妙なことに

感心しました

 

 

 

 このあと

繁子は

道長に接近

 

叔母として

終生大切に

扱われたそうな

 

娘の尊子も

道兼の死後

一条天皇に入内

させた

といいますから

 

繁子は

政治家としても

手腕を発揮したと

言ってもいいでしょう

 

さすが

師輔の娘

兼家の妹

 

九条流の姫君は

詮子にしても

繁子にしても

したたかです

 

 

 

 

伊周って

行成と二つしか

違わないのかぁ

 

行成の

あの達観した感じ

すごすぎるわぁ

 

 

早くに

父親を亡くした

行成は

 

母方の祖父である

源保光に

政治家としての

ノウハウを

叩き込まれて

育ったので

 

道兼や伊周とは

入っている筋金が

違っています

 

 

 

 

【光る君へ】第14回「星落ちてなお」回想 兼家と寧子「輝かしき日々」を描いた『蜻蛉日記』 『拾遺和歌集』に花山院の存在 ききょうの「信条告白」にしびれる

兼家と寧子の

青春時代に

光が当たりましたね

 

兼家は寧子のことも

大切に思っていたのだと

そう思いたいですね

 

蜻蛉夫人も

立派に妻だったので

妾ではない

ということです

 

でなければ

二人の間に生まれた

息子の名前に

「道」の字を

あてたりしませんよ

 

道長の兄弟は

「道」という字が

通字に

なっています

 

通字は

「つうじ」

または

「とおりじ」

と訓みます

 

兄弟の結束を

固めるために

用いられる方法です

 

道綱だって

父親に

愛されていたんですよ

きっと

 

寧子さま

ほんとうに

よかったですね

 

道綱は、よく

辛抱したと思います

 

さすが

寧子さまに育てられた

だけのことはあります

 

実資には、日記で

「道綱は字も書けない」

やら

言われていましたが

 

道綱は道綱なりに

精一杯頑張ります

 

最初から

何もかも

与えられている

幸せいっぱいな

若君とは違って

 

苦労した若君は

我慢して努力する

もののようです

 

そしてそれが

実を結ぶ日も

来るのですが

 

打たれ弱い

貴公子たちは

身を持ち崩すことに

なるのでした