実資さん

この表情は

 

道長に

見どころアリと

認識したのか

 

この方

日記では

誰彼構わず

けちょんけちょんに

ディスってはいても

 

表面的には

至極上手に

世渡りをした人

 

賢人右府

という異名を

とっています

 

右府とは

右大臣のことで

ゆくゆくは道長の

政治的パートナーに

なります

 

でも、道長に

べったり

くっついて

いたわけではなく

 

おもねったりせず

耳に痛いことも言い

筋を通したのです

 

 

この、実資さん

後年には紫式部さんとも

良好な関係を築きます

 

当時の貴人は

直接他人と話すことが

ありませんでした

 

必ず

取り次ぎの女房を

介して

話をします

 

どんな

高位高官を持つ人

であっても

 

親でもなければ

子でもなく

帝でもない人は

 

中宮と

直接会話するなど

なかったのです

 

 

実資は、

中宮への取り次ぎを

紫式部に一任していた

ということです

 

彼の日記

小右記

野宮大臣の日

 

紫式部は

「藤原為時女」として

登場します

 

彼女が

実在する人物である

という

根拠ともなっています

 

彼女がいないと

中宮と話すことも諦め

出直したらしい様子から

全幅の信頼を寄せていたと

考えて良さそうです

 

 

 

ただ

あまりに子どもに

恵まれなさ過ぎた

せいか

 

女癖の悪い点も

ありましてね

 

ソッチの逸話も

いろいろある人です

 

謹厳実直

というのでも

ないらしくて

 

まあ実に

人間くさい

人のようです

 

 

 

 

 

 

藤原公任も

小野宮流の貴公子です

 

権中納言さまの

公任についての考察に

敬服いたしましたので

載せておきます

 

 

公任さんは

生まれもよく

才に恵まれて

いたはずが

 

道兼についたのが

運の尽き

 

お気の毒です

 

 

あの時代の出世は

 

門地の高さ

才能の豊かさ

兼ね備えていても

 

運が良くないと

実現しない

もののようで

 

誠にもって

シビアですね