やっと
オンエアされましたね
 
えさし藤原の郷で
ロケしたのは
盛んに宣伝しておりました
 
月夜だったそうですが
ロケが終わったら
雨が降ったそうな
 
神事の雨は
吉兆だそうですよ
 
まあもっとも
ロケはドラマで
作りごとなので
神事ではないけれど
 
 
 
舞姫は四人でしたね
 
実は
花山天皇が即位して
間もなかったので
これは新嘗祭
 
大嘗祭は
翌年だそうな
 
だから
四人で⭕️
 
 
花山天皇の
 
即位礼
984年11月5日
(永観2年10月10日)
 
大嘗祭
986年1月4日
(寛和元年11月21日)
 
 
つまり
永観二年十月に
即位礼をやった直後
 
永観二年十一月に
大嘗祭をやるってことには
ならなかった
訳ですね
 
ということも、
全部、わかっちゃう
なんて・・・・・
 
これってね
ものすごいことですよ
 
千年前の行事記録が
残っている
ってことでしょう?
 
そんな国
他にあるんだろか?
 
 
 
ひょっとして
これは
 
元々は円融天皇が
ご覧になるはずだった
五節の舞として
用意されていた
舞姫さんたち
 
だったんでしょうかね
 
この時代
左大臣家から
舞姫を出すとして
 
実の姫君が出ることは
まずなかった
 
思われ
 
為時の娘が
舞姫になること自体は
それほど
不可解ではない
 
思います
 
(事実ではないとは思いますが)
 

 

 

こんなことまで

教えてくださる

酒上小琴さん

心から

尊敬しています

 

 

 

茅子さんって

朝光(あさてる)さんの

お嬢さんかも

しれないのですね

 

 

実は

朝光さんのお嬢さんに

 

花山天皇の女御

藤原姚子

(971〜989)

がおりましてね

 

当時13歳です

 

 

 

 

この人のお母さんは

重明親王の女

でして

 

重明親王

藤原登子

(なりこ)との間の

お嬢さんです

 

 

 

 

 

 

姚子の祖母にあたる

登子さんは

姉の村上中宮

安子が産んだ円融天皇の

養育を任されていた

貞観殿の尚侍

です

 
 
 
姚子さんには
可哀相な
逸話がありまして
 
 
花山天皇に
入内後
1ヶ月ほどで
飽きられて
捨てられた
 
とか
 
 
茅子=姚子でないことを
祈ります
 
(あの流れから行くと
この祈りは空しいか)
 
 
 

 

もう一人の

大納言だった

済時の女は

 

三条天皇皇后

藤原娍子

(972〜1025)

当時12歳

 

敦道親王妃

(?〜?)

娍子よりは若い

 

です

 

 

 

 
一方
肇子さんの方は
 

 

公季さんの

お嬢さんかも

 

もしもそうなら

なんと

 

一条天皇女御

藤原義子

(974〜1053)

当時10歳

 

ということに

なっちゃいますね

 

 

 

 

あの

平安女子会

 

登場人物が

すごすぎます

 

書いていて

怖くなってきました

 
 
 
酒上小琴さんは
肇子は
佐理の女の
藤原懐平室か?
という見解ですが
965年生まれ?だと
当時19歳で
五節の舞姫には
ちょっと
歳が多すぎるかと
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし

それにしても

 

花山天皇

即位礼の御帳台に

女官を引き入れ

云々

 

というオハナシを

上手に処理しましたね

 

あれは

兼家の意を汲んだ

長男道隆が

噂として広めて

花山天皇をdisった

 

ってことにしたんですね




 

 

 

さてさて

 

一条天皇

即位礼の御帳台に

生首

 

ってぇのは

どう処理するんでしょうね

 

楽しみですねぇ

 

 

 

今週も

あっという間の

45分でした

 

 

 

長年

私のブロ友をやってる人が

自分もテレビを観ながら

 

どんなに私が喜んで

観ていることかと

思いを馳せている

 

という内容の

メッセージをくれました

 

半泣きで

見てる?

 

と言うので

 

大泣きしてる

 

と答えた

清しょうこ納言

なのでした

 

 

もちろん、

歓喜の涙に

咽んでおりますのよ