年末は29日にも

面会に行ったのですが

 

相変わらず

目を瞑ったまま

活性の低かった

ばあちゃんです

 

1月3日から

熱が出まして

 

どうやら

尿路感染症

ではなかろうか

 

という

看護師さんの

予測はバッチリで

 

正月休み明けに

抗生剤を使ったら

くるくるっと

改善して

やれやれ

 

1月10日になって

面会に行くと

お目々ぱっちり

起きていました

 

かれこれ

3ヶ月近く

目を開けなかったのに

 

熱が出た後

下がったので

何やら

活性化した模様

 

私のことは

わかってるのか

わからないのか

よくわからなかった

のですが

 

また来るからね

 

と言って、

帰ろうとしたら

 

ありがとう

ありがとう

 

喋ったので

 

びっくりしました

 

 

私と二人だけだと

捗々しい会話は

成立しないのですが

 

間に

看護師さんや

介護士さんを

通訳に入れると

 

何か喋ったり

するようで

 

ちょっと

不思議です

 

 

 

まあ、それでも

穏やかに

過ごしている

ようなので


安心しました

 

 

 

 

 

12月23日には

早々に

帰省してきた

息子です

 

とはいえ

 

24日はおじいちゃんの

25日はおばあちゃんの

命日である

 

しょうこ家に

クリスマスは

来ませんから

 

特に鶏の丸焼きやらは

食べたりしないのですが

 

26日から

一泊で

出雲へ旅行して

 

山陰の美味しいものを

たくさん食べて来ました

 

驚いたことに

 

松江で

並んで入った

お蕎麦屋さんは

31日に

テレビで映っていた

有名蕎麦店でした

 

28日29日は

中学校の友達

小学校の友達

がそれぞれ

プチ同窓会を

開いてくれて

 

息子を

お守りしてくれたので

大掃除したり

買い物に行ったり

しました

 

30日には

早くも値下がり

していた

「高級牛肉」で

すき焼きをして

すでにお正月気分

 

31日こそ

夕飯は蕎麦ですが

それは、

紅白観ながら

お菓子を食べるため

でもあるわけです

 

お雑煮は

31日から

食べ始めました

 

というのも

 

息子は4日から仕事で

2日には帰るからです

 

 


そうです

 

今年は

2日の第一便で

帰ったんです

 

だから

羽田の大混乱には

巻き込まれずに

すみました

 

同僚の

同じく岡山から

帰った先生は

 

4日の最終便を

予約していましたが

その日になって

欠航が決まり

最終の新幹線で

なんとか辿り着いたそう

 

2日の朝帰ったのは

偶然でしたが

つくづく

ラッキーでした

 

 

 

 

 

 

 元日の

能登半島地震のせいで

 

息子が帰ってしまった

喪失感を

感じる暇もないくらい

 

心が苦しい日々です

 

皆さんのブログにも

ご無沙汰していて

ごめんなさい

 

 

 

能登半島には

2016年9月に

富山側から入って

左回りでぐるっと

輪島の手前まで

旅行しました

 

 

これは、見附島

珠洲市にあります

 

なんと、これが

今回の地震で

崩れたそうな

 

 

 

海沿いの

美しい景色を

堪能した旅でした

 

美味しい酒蔵にも

寄ったのです

 

宗玄酒造は

土砂崩れの被害に

遭ったそうです

 

ちょっともう

なんと言って良いのか

わからなくて

 

見たことのある

美しい景色が

失われたことが

ショックなのもだし

 

あの地で

この寒さで

雪も降って

 

住んでいる人たちは

どんなに辛いだろう

と思うと


胸が苦しい

 

 

 

少しですが

しょうこ家も

揺れました

 

気持ち悪いほど

ゆっくり

ゆらゆらと

 

2016年に

能登へ行く直前

金沢で会ったのが

最後になった

パパちゃんの友人(故人)の

奥様が作られた

ステンドグラスの

ランプシェードが

揺れて、気づきました

 

 

 

海の近さと


立派な瓦屋根の

年代を感じる家屋と


地震の多さに


一抹の不安を

持ってはいました

 

それでも、まさか

こんな大きな地震が

来るとは


誰も想像

できなかった

のでしょうね




 

被災された方々に

様々な援助の手が

届いて

安穏な生活が

一日も早く

戻りますように


殊にも

ウチのばあちゃん

みたいに

24時間

人の目と手を

必要としている

お年寄りが


一刻も早く

安全な場所で

適切な介護を

受けられるように

なりますように