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聖書研究ブログ

聖書はキリストを証しています(ヨハネ5:39)。キリストを知らなければ神を知ることはできません。そして、復活されたキリストは、まもなく再臨されることになっています。天で審判が行われています。死んで眠っている人も生きている人も、永遠の生か死に分けられています。

※Ⅱ父祖アブラハムとイサク 11:26-26:35  
A. アブラハム 11:27-16:16
A-1 召しとカナンへの旅。 11:27-12:9
A-2 エジプトでの経験 12:10-20
A-3 ロトとの分離 13:1-18
A-4 ロトの救出、メルキデゼクと出あう 14:1-24
A-5 神との契約 15:1-21
A-6 ハガルとの結婚、イシマエル誕生16:1-16


■創世記12:1-10

1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」。
4 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。
5 アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ちカナンの地にきた。
6 アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。
7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた
8 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。
9 アブラムはなお進んでネゲブに移った。
10 さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。

7 時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた

 『アブラハムは、神の約束にしっかりとすがってはいたものの、天幕を張った時に、不幸な出来事の予感がないわけではなかった。・・・・・彼の信仰は、神が彼と共におられて、悪人の思いのままになることはにあという保証の言葉によって力づけられた。「
アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた」(創世記12:7)。彼はまだ旅人であったので、まもなくべテルの近くに移り、またそこに祭壇を築いて、主の名を呼んだ。』

※べテル=ヘブル語で、「神の家」の意味

  カナン人の恐ろしい偶像礼拝を目の当たりにしたアブラハム。神の約束の地にこのような礼拝があっていいものだろうか、自分の家族や僕たちに影響がありはしまいか・・・そのような予感があったかもしれません。しかし神の出現で我に返り、私には主がともにおられた、主よ感謝しますというような思いだったのかもしれません。

8 彼はそこからベテルの東の山に移って天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。
9 アブラムはなお進んでネゲブに移った。

 アブラハムは天幕を張ったところに必ず主のために祭壇を建てました。

 『「神の友」アブラハムは、尊い模範を残した。彼の一生は、祈りの生涯であった。彼は天幕を張ると必ずそのそばに祭壇を築いて、朝夕の犠牲を捧げる時に天幕内のすべての者を集めた。彼の天幕が移動していくと、祭壇はそこに残った。後年、カナン人が、そのあたりで放浪生活を営んだ。そうした人の中の誰かが祭壇を見つけると、そこに誰が住んでいたかがすぐにわかった。そして、そこに自分の天幕を張り、祭壇を修理して、生きた神を礼拝するのであった。』

10 さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。


左地図は、カナンの地の領土を示したものですが、これが限定的なものではなく、おおよそのカナンの地であるとご了承願います。

上記地図は、アブラハムの旅程図です。

カナンの地を目にしたのに、飢饉があったために、エジプトへくだらなければなりませんでした。

この地はよく飢饉がおこりました。旧約聖書を読んでいると、たびたび飢饉がおこります。その中で神の僕たちは信仰を試され、神により信頼することにより、危機を乗り越えていきました。

 『アブラハムは南に旅を続けていった。そして、再び、彼の信仰は試みられた。天から雨は降らず、谷間の小川の水は彼、平原の草はしぼんだ。家畜や羊の群れの牧草がなくなり、天幕全体の者が餓死しそうになった。
 さて、アブラハムは、神の摂理の導きを疑わなかっただろう。か。豊かなカルデヤの平原に帰りたいと思わなかっただろうか。一同は、次々と苦難におそわれ るアブラハムがいったいどうするであろうかと、しきりに彼を見つめていた。人々は、アブラハムの確信がゆるぎさえしなければ、希望が持てると思った。彼ら は、神がアブラハムの友であり、彼を導いておられることを確信した。』(人類のあけぼの上巻p.127)

アブラハムは、神の摂理によって、導かれていることが人々の目にも明らかでした。この危機を逃れるためにアブラハム一行は南のエジプトまで下っていきまし た。アブラハムはカナンをあきらめたわけでもなく、この一時的危機をしのぐために移動しただけです。約束の地に近いところで難を逃れようとしました。

 さて、アブラハムはエジプトへ入りました。ここでどんな事件がおこるのでしょうか。神はアブラハムに何を教えられたでしょうか。


アーメン!!


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