-“犬”、この愛らしき生き物-
昔々の話である。
私(耳順)が少年時代を過ごした所は、海際まで山が迫っている場所が何カ所もあった。
その突端を回り込むとまた別の世界が広がった。
海と山。
少年と犬にとってはこれ以上ない、格好の遊び場であった。
犬と一緒に遠出することも多かった。
もちろん鎖を付けることはない。
“ラン”(飼い犬の名前)は、私の前になり、後ろになりながら勝手に冒険を楽しんでいる。
かの犬はよく吠えるのだが、何とも臆病でもあった。
自分の守備範囲を出ると、尻尾を垂らし、自ら吠えることなど皆無であった。
特に他の犬に吠えかかられると、もう逃げの一手である。
或る日の冒険は、海を渡り、山に分け入り、かなりの遠征となった。
そこに突然、一軒の人家が現れ、そこの犬に猛烈に吠えられた。
特に大型犬でもなく、その家の敷地内にいるだけにもかかわらず“ラン”はすぐに反応した。
踵(きびす)を返したのだ。
一度も振り返ることなく、一目散に逃亡し、すぐに私の視界から消えた。
それから約2時間後、自宅に戻った私は真先に犬小屋を覗いた。
その犬小屋というのは、ドラム罐の一方をくりぬいて横に倒し、下に簀の子(すのこ)を敷き、その上にゴザと古毛布を敷いたという代物であった。
かの地から無事に自分の家に戻れたかどうか、私は心配であった。
『 ラン!! 居るか~?』
居た!!
犬小屋の奥に小さく丸まっていた。
顔を合わせると、ゆっくりと立ち上がるが、尻尾を下に巻き込んだまま小屋から出て来ようとしない。身悶えするように動き回るのみである。
身も世も無いというという風情であった。
主人を放り出して、自分一人で敵前逃亡した行為を大いに恥じ、合わせる顔がない・・・・というところか。犬小屋の最奥部から全く出て来ない。
潜り込んで引っ張り出そうとしても、頑として動かない。
『 ラン!怒ってないから。』
『 もう許してやるから出ておいで!』
暫く経ってからであった。自ら小屋から出て来たのは。
本人の心の中で一応、贖罪が終わったということのようであった。
ただ、その日は終日元気がなかった。
“恥じ入る犬”・・・・
この人間以上に人間っぽい犬に乾杯!!
-耳順-