太陽の時間が終わり、眠れる星たちが瞬き始めるこの時間帯が好きだった。ただ暗いだけじゃない。そこにはある意味でのバトンタッチが行われていて、輝く主役が星と星の間で移り変わる。
ここ迷宮都市イザヴェルの南地区は、ちょうど東西の真ん中に立って空を見上げられることから、イザヴェル内でも天文学が発達するほどに皆が空を見ている地区でもあった。
その南地区のさらにはずれ。人の気配も少ない路地裏に、俺行きつけの遊び場があった。
『居酒屋ノリさん』
何ともまあ気の抜けるようなやんわりした雰囲気の居酒屋である。入り口には赤いのれんと提灯。田舎の酒飲み場をそのままこっちの世界に持ってきたような感覚がして、俺は何かあるとここに来るようになっていた。
「ちわーす」
エリーゼを後ろに連れ、俺が先陣を切って中へ入る。と、店内は大きく2分され、相変わらずの賑やかさを醸し出していた。
入ってすぐ目の前には食事用のカウンター。マスターであるノリトシという50前半の親父さんがカウンターの向こうに構えている。そして向かって右側には畳の遊び場があり、客は飲み食いしながら向こうで軽いギャンブルに明け暮れる。マスターこそここの最近ギャンブラーで、彼に勝てたら本日のオススメメニューを無料で頂けるという特典付きだ。
「おうリヒト、らっしゃい」
優しい雰囲気のマスターが俺の顔を見て声をかけた。その手は休まずに何かを弄っている。
「ようノリさん、ご無沙汰」
「ん?リヒト、珍しいな、連れか?」
俺に続いて入ってきた珍客に、店の大将は目を丸くする。
「お前……ええいっ!」
ノリトシはカウンターから身を乗り出し俺を捕まえるとグイッと引き寄せた。
「どこでそんなベッピンさん捕まえたんだこの野郎!」
ヘッドロックに加え髪をワシャワシャと掻き乱される。
「いででで…違う違うギルドメンバー!」
「あの、お邪魔します」
少々遠慮がちなエリーゼが丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃい。田舎臭えとこだけど楽しんでってくれや」
やっと解放された俺は髪を直しつつカウンター席に座ってエリーゼに合図する。それを見た彼女も俺の隣に座り……途端、その表情を崩した。
「……いい匂い…」
この嗅覚はカウンターの中にあるものを正確に捉えていた。
「おでん、食ったことあるかい?」
「おでん?」
「おう、ダシの効いた汁で大根やら肉やらを煮込んだ今日のオススメメニューさ」
ごくり、とエリーゼの喉が鳴る。ノリトシの手元で湯気を上げつつ鼻の奥まで染み渡る匂いを放っているそいつは紛れもなくおでん。
ノリトシが最も得意とするカウンターメニューの1つだった。
「何から食う?今日はどれでも1つ8メルだ」
「は、ハチメル!」
素っ頓狂な声を上げたのはエリーゼだ。ジュース一本50メル。50メルで6個は食べれる計算。さらに目を輝かせる雷神様のテンションはヒートアップする。
「じゃあノリさん、俺とこいつに、まずは大根をくれよ」
俺が指を2本立てて注文すると、「あいよ」と手際よく2枚の皿に大根の輪切りを熱々の汁の中から1つずつ乗せて俺に差し出した。
「食ってみな、美味いから」
皿の端に少しカラシが添えてあるのがまた憎らしいほど食欲を唆る。
何のためらいもなく一口食べたエリーゼが目を大きくしながら唸る。
向こうでさっきまで賭け事をして遊んでいた男達も身を乗り出すようにしてエリーゼを見つめていた。この場にいた者全てが頬を綻ばせたことだろう。天使のような笑みが場を満たしていた。もちろん俺も、ノリトシも笑みを隠せない。
喜んでもらってよかった。
「リヒト、他のおすすめはなに?」
早くも大根を平らげた少女は俺に尋ねる。「いい食いっぷりだ!」と男たちは歓声を上げる。
「じゃあ…はんぺんとか食っとくか?」
その日、夜の9時過ぎまで楽しく食い飲みした俺とエリーゼは夜分遅くになって武器屋に立ち寄り、鍛冶屋の親父さんにこっぴどく叱られた。
でもまあ、と俺はまだ興奮冷めならぬエリーゼを見た。
明日からの仕事はたぶんきついから、いい気分転換になったのかもしれない。
少なくとも、エリーゼはまたあの店に行きたがっている。もう1度あのおでんを食うまでは何がなんでも生き延びるだろうな。
