解釈活動に於いて治療の進展を妨げる抵抗の類型 | 奈良カウンセリング 山本精神分析オフィスのブログ

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①患者が治療進展を妨げているということが分かりにくい抵抗である。

それは患者が誠実に自分の人格について、治療者に自己開示しているということだけを強く意識している。それは正直に鋭い自己探求を行い、患者と治療者との間に患者の自己探求を行っていて、二人の間に治療的なコミュニケーションを行っているのに患者は自分の得た「洞察」によって明らかになったものが、自分自身のものであるという認識が欠けているのである。(感情を伴った洞察の欠如)。即ち自分の病的な行動や反応様式が今まで話してきた病理の姿が真に自分の問題であるという感じがないのである。

外見からはそういう患者は本当に誠実さの姿のように見えるが、こういう現象が起こっていることはなかなか分かりにくいものである。こういう現象の特徴としてかかわっている治療過程に患者が自己陶酔しているような微妙な雰囲気が漂っていることから理解できる。

 

➁実感を遮断する言葉の問題

患者が連想を正確にあるひらめきによって問題の中核に迫ろうとしていた時、その新たな自覚を推論として述べようとする。例えば自分の憎しみに気付いたようなとき、「おそらく、あの人を憎らしく思っているのでしょうね」と言ったり、また心の中にある恐れに気がついて「たぶん、恐ろしいのかも知れません」とか、このように「~なのかも知れません」、「このことと、私が腹が立っていることと関係しているのかも知れません」また「~とは思いますが」のように「そうかもしれないと思いますが」のようにと言ったりします。またもっと徹底した言葉の遮断としては、「ひょっとしたら、これこれのこととも何か関係があるということも考えられないこともありませんね」等。実感を遮断する言葉を用いるときは、常に意味のある連想が浮かんで来たり、洞察がひらめいたりしたときに関連している。

ありのままの自分を受け入れて正直に自分を表現しようとする患者ならば、「多分、~のことを恐ろしく感じていたのでしょうね。」「憎らしく感じていたのでしょうね」とは言わず、「~のこと恐ろしく感じていました」「のこと憎らしく感じていました」等、自分の感情に責任をもった表現をすると思います。また漠然とした気持ちを明確化しょうとして正直に「憎んでいることが次第に分かってきました。」とか、また治療者と積極的にかかわっている患者なら「多分、~なんでしょうね」ではなく「~なんです」のように断定的な表現で自分の感情を素直に表現します。

このように実感を遮断する言葉は、に持った電線に流れている電流から身を守る絶縁用のゴム手袋のようなものである。

もし実感を遮断する言葉を使うことで、生き生きとした感情を体験することなく自分の本当の感情から身を引くならば感情の微妙な本質を味わえないであろう。このことに治療者と患者双方ともこのことに気づかなければ、話されている内容の実際の深いレベルでの洞察からかなり浅い認識で終わるであろうと思われる。

 

③解釈の否認

洞察を分析者の考えとして語ることで、その洞察を自分のものとして引き受けず、否定してしまうような言い方である。即ち、「先生が何を言われているのかわかっています」「私に何を言わせたいのかわかっています」「先生の考えていることは察しがつきます」という言い方である。洞察を治療者のせいにすることによって、せっかく生み出した自己評価や連想を台無しにしてしまう。(患者の連想とは言葉の関連をつける患者の価値である)

これは大事なことである。言葉の関連づけや系統的把握は分析者と患者間の治療的やりとりの中で連想的に生じてきた解釈であって、その功績は治療者のものではない、連想の関連づけの源は患者自身なのである。「先生が私に何を言わせたいのか分かっています」といった類の言い方を患者がするのは「これから話そうとしている事柄は自分の性格についてまったく意味のないことであり、分析家を喜ばすだけのものである。」と言っているようなものである。もし患者が根底でこのような治療者に抗戦する姿勢を続けている場合は、無意識的に用いている否認という態度をとっていることになり、治療の進展を妨げることになる。