■復活。そして、最後の戦い!
しばらくして、隼人君に塾のことを聞いてみました。
本音かどうかはわかりませんが、
「塾よりも私の家庭教師の方が身につくような気がする。」
というようになってくれたのです。
また、お母さんも
「主人は、先生を代えたり、塾に行かせたりしていますが、
私は多分隼人がやり足らないだけだと思うんです。
隼人は勉強しているように言っていますが、
私にはまだ余裕があるように思えてならないんです。
この前も勉強しているかなと思って見に行くと、1
0時ごろには寝ていましたもの・・・・。」
そして、とうとう12月に中旬になり、
お母さんが川田さんと話をしたそうです。
お母さんとしては、
塾よりも「私の家庭教師」の方が効果があると思うこと。
成績が上がらないのは、本人の勉強不足
ということ。お母さんは自分が勉強してきたので、
成績が上がらない理由をわかっていらっしゃったようです。
そして、あるとき、また電話がかかってきたのです。
お母さん「先生、塾の方から冬期講習の申込があったのですが、
どうしたらいいでしょう。」
私 「それは、冬期講習に行かれたらいいと思いますよ。」
お母さん「ですが、私は、隼人が冬期講習で皆でやっても
成績が上がると思わないんです。それでしたら、
先生におまかせした方が子供のためにもいいかなと思いまして。」
私 「そうですか。一度お父さんとお話していただいたら・・・。」
お母さん「はい。多分お願いする事になると思いますので、よろしくお願いします。」
私としては、正直複雑な気持ちでした。
これですべて関わると多分、私の性格から、
さらに採算を度外してして、指導にのめり込んでいくと思ったからです。
それからしばらくして、また川田さんと話す機会があり、
川田さん「堀さん、冬期講習の件家内から聞きました。
堀さんどうか受けてもらえませんか。」
私 「はい。ですが今の隼人君のままでは成績は上がりませんよ。」
川田さん「どうか、そこを何とか。」
私 「うーん。」
川田さん「受験までもう少しなので、お願いします。」
(とご夫婦で頭を下げる)
私 「わかりました。受けましょう。その代わり容赦はしませんよ。
こうなったら、川田さんと心中です。覚悟してください。」
川田さん「はい。お願いします。私も心中します(笑)」
私 「これからは、週3日で、土日も来ますよ。」
川田さん「はい。お願いします。」
ここからが本当の戦いでした。志望校は決まっていましたが、
志望校の配点は、隼人君の得意の数学の配点が低く、
どちらかというと苦手な英語の配点が高いので、
今度は英語中心の授業に切り換えました。
志望校の過去の問題を1年分解いてみると、配点の高い英語が、
なんと、 40点/200点満点中
百点満点でいうと「たったの20点」
です。正直いって、「腹はくくっていた」ものの私も真っ青です。
本当に急激に成績を上げないと川田さんと心中です。(苦笑)
早速時間配分を考えました。今でも思いますが、
当時は結構な量をやったと思います。
当時の家庭教師の時間を見てみますと、
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火曜日 午後7時30分から、午前2時まで
木曜日 午後7時30分から、午前2時まで
土曜日 学校が終ってから、午前0時まで
(午前中の授業があれば、午後1時から、なければ、午前9時から)
日曜日 午前9時から、午前0時まで
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冬休みの間は、1月1日を除く毎日、午前9時から午前0時まで、
昼と夜の食事時間の1時間を除くとずっと勉強です。
しかも、本当であれば延長した分いただくのですが、
このときばかりは無料で、
まさに
「ボランティア」
といったところです。
冬休みが終ってもハードスケジュールは続きます。
この頃になると私もフラフラです。
というのは、私は開業資金を貯めるために、
昼間も、朝8時30分から、夕方5時30分まで、
工場で肉体労働のアルバイトをしていましたから・・・。
週4日以上が睡眠時間3時間と、夜の家庭教師の睡眠不足と肉体労働です。
1度こんなこともありました。私が「うとうと」居眠り運転をしていて、
赤信号に気づかず、突っ込んでいってしまい危うく、
人をはねそうになってしまったのです。
これには、一瞬私も「ひゃっ」としてしまいました。
これで、私はこの状態が続くとまずいと思い、
とうとう昼間のアルバイトを辞め「川田さん」の指導に絞ることにしました。
そして、ここから急激な成績アップがはじまるのです。