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ニュースな話題

政治、経済、時事などのニュース、トピックスについて書きます。

下の藤末議員のコラム、官僚の仕事の実態、政と官の在り方を考える上で、非常に参考になります。



官僚の方々は大変だったでしょうが、これまで、こうした省庁間の調整をギリギリとやることで、

立法技術上の矛盾、漏れ等が生じることなく、制度の運営ができていたのではないかと思います。



この仕組みを変えるのは若干不安もありますが、プラス思考ぷらすで考えていくべきなのでしょう。



とにかく、政と官それぞれが、新たな枠組みの下で、その果たすべき役割をきちんと果たすことが

大事になってきます。

すなわち、


  政治家については、

  →藤末議員が書かれているように、省庁間の調整は政治家が責任を持って行う

    (※デキる先生は、省庁内の部局間の調整もしようネ(*^▽^*))


  官僚については、 

  →政治家の方針に従って、政策の具体的立案、遂行の業務に専念する

    (※省庁間調整業務がなくなる分、業務が迅速、充実すれば国民のメリットになる。)



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若手官僚が喜ぶ? 事務次官等会議の廃止

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/92b8a8cd8487a369e9d7ece90915e412/page/1/
先月9月、鳩山政権は、「事務次官等会議」を廃止した。この事務次官等会議というのは、「事務次官会議」とも呼ばれる不思議な会議だ(写真は、小泉政権下の事務次官会議 出所:官邸
)。
 なぜ不思議か?
 それは法的根拠がないまま行われていたからだ。法的な根拠もいないままに、事務次官会議では、閣議の前日に、事前に閣議の議題を各省庁の事務次官が集まって審議している。そして、その事務次官会議の審議の結果が、そのまま閣議決定されるのだ。つまり、実質的な政府の最高意思決定機関となっていたのだ。
 この事務次官会議を鳩山政権は、「脱官僚支配」という政策のもと、廃止することを決めた。2009年9月17日に事務次官を集め「事務次官等会議の廃止」を確認したのである。
 事務次官等会議は、さかのぼると内閣制度創設のころ(1886年ごろ)から「次官会議」として、これまた法令上の根拠がない非制度的機関として存在していたそうだ。ここから数えると、100年以上の歴史に幕を閉じたことになる。

事務次官会議の問題は?
 10年前まで通商産業省(現経済産業省)という役所で仕事をさせてもらった経験で言うと、事務次官会議の問題点は、
「法案作成や予算・政策の作成における省庁間の調整に膨大な労力と時間を使う」
ことにある。
 筆者の経験だが、1994年だったと記憶しているが、「省エネ・リサイクル促進法」という法律案の作成に参加していた。半年間「タコ部屋」という名の法案作成作業部屋に閉じ込もり、半年間で2日しか休みがなく、連日深夜まで働くということをしていた(そのころ妻は筆者が過労死したら訴えようと、帰宅時間を記録していた。ほとんど午前様だった)。

「なぜ、中央官庁の人はそんなに働くの?」とよく聞かれるが、法律案作成の際、その労力の多く(感覚的には7割くらい)は、法律案自体をつくることにではなく、「関係他省庁との調整」に使っていた。
 たとえば、リサイクルにしても通産省所管のものだけではなく、建材や道路工事の廃材なども法律の対象となる。そうなるとこれらを所管している建設省(現国土交通省)と交渉をしなければならない。また、農家の省エネは農水省の所管だし、リサイクルとなると廃棄物処理法を所管している厚生省(現厚生労働省)や環境問題を所管する環境庁(現環境省)との調整も必要となるわけだ。
 1994年当時は、電子メールがいまほど発達していなかったので、調整をすべき事項があるとファクシミリを使って法律案に関係する各省庁に法案条文ごとに連絡する。ちょっとした法文修正でも関係省庁にすべて連絡して、了解を得なければならない。
 そして調整ができないときは、どんどん上司が調整していくことになる。最後の最後に調整をするのが事務次官ということになるわけだ。
 筆者の担当した部分(分担を決めて法律案を作成していた)では、建設省との間で、法律に関する事業の予算の分担で、局長交渉をした。この幹部への説明や交渉の場の設定など、これも楽な仕事ではない(厳しい環境にいると気心が通じるものなのか、当時の建設省の担当者とはいまでも付き合いがある。ストックホルム症候群※的なもの?)。
 ※犯罪被害者が犯人と時間・空間を共有することで、被害者が犯人に対して同情心や好意を抱くという精神医学用語
 なぜ、こんなに調整をやらなければならないかというと、法律案は、国会で可決されなければ法律にならないからだ。そして政府から国会に法案を提出するためには、閣議を「多数決ではなく全会一致」によって採択されなければならないからである。つまり、1人でも大臣が「だめ」といえば法案は国会に送られないことになるのだ。

そのため、閣議で全大臣が「いいよ」と言えるように「事前に各省庁事務方が合意する儀式が事務次官会議」なのである。つまり、ある意味「儀式」であり、事務次官会議は不要だといえる。

政治家が法案調整に入らないと事務次官会議廃止の意味がない!
 事務次官会議をなくし、全体調整の最終確認を閣議が行うだけでは何も変わらない。事務次官会議をなくしただけでは、おそらく、若手役人の労力を使う調整作業は減らないだろう。
 抜本的に変えるには、省庁間の調整を政治家が行う必要がある。
 政治家は専門知識がないからだめだ、と言われるかも知れないが、政治家の仕事は、法文を作るのではなく、法律の中身の判断をすることであり、見識があれば問題はないはずだ。
 逆に、「役人が交渉しても自分自身の役所の範囲を超えた議論ができないが、政治家は省庁の枠を超えて国民視点で法案の議論ができる」というメリットがある。
 そして、若い役人も、交渉を課長補佐、課長、審議官、局長、そして事務次官へと上げていく手続きがなくなり、その作業量は大幅に減らすことができるはずだ。若い役人には、つまらない調整に時間を使うより、日本のために必要な政策を考えるために時間を使ってもらうべきだ。
 そして、法律に政治的な意思を注入するためにも、法律案を役所に丸投げするのではなく、調整段階から政治家が関与すべきだろう。
 事務次官会議を廃止し、法案作成プロセスをどう変えていくのか。鳩山政権の課題だ。

(2009.10.7 東洋経済;藤末健三 民主党参議院議員)