- ああ、エフライムよ(注)
お前を見捨てることができようか。
イスラエルよ(注)
お前を引き渡すことができようか。
アドマのようにお前を見捨て
ツェボイムのようにすることができようか。
わたしは激しく心を動かされ
憐れみに胸を焼かれる。
わたしは、もはや怒りに燃えることなく
エフライムを再び滅ぼすことはしない。
わたしは神であり、人間ではない。
お前たちのうちにあって聖なる者。
怒りをもって望みはしない。
- 旧約聖書(新共同訳)ホセア書十一章八節~九節より。
注):ここで呼びかけを受けている『エフライム』あるいは『イスラエル』とは、特定の国名あるいは人名を指している言葉ではけっしてないことに注意しましょう。
ここで言う『エフライム』あるいは『イスラエル』とは、自らの負った十字架(孤独、苦難)に今にも押し潰されそうになっているあなた、そしてわたし自身の喩であり、現実のあらゆる抑圧や不条理からの解放を求めてやまない人々(あなたとわたし)に与えられた呼び名である、と言うことができるでしょう。
それは、すなわちあなたとわたしに向けられた、キリストなる神からの愛に満ちた呼びかけなのです。あなたとわたしが苦悩と死の闇の中に失われていくのを見過ごしにすることをけっして許さず、むしろあなたとわたしへの激しいまでの愛と共感を十字架の上で血を流して苦しむ姿をもって示してくださったキリストなる神。その御声、その情熱的な愛を、この二つの呼び名のもつ響きからわたしたちは聴きとることができるでしょう。怒りではなく、あふれる愛を…。
あなたの失望は失望のまま終わることはけっしてありません。なぜなら神があなたとともに苦しみ悩み、あなたととも地べたをはうようにしてでもともに歩みたいと望んでくださり、自らあなたと同じ地べたに降り立ってくださったから…。あなたのもとに解放の主キリストは必ず来てくださいます。いや、もうすでにあなたの隣に来て共に歩んでくださっているのです。
キリストは片時も離れず、あなたとともにいてくださいます。さあ涙をふいて…。