第四章:帰れぬ場所



静かな朝だった。小屋の周囲に広がる森は、風もなく、ただ鳥のさえずりが響いていた。


その静けさを破るように、馬車の車輪が土を踏みしめる音が近づいてきた。


《……誰か来たぞ。》


魔剣の低い声に促され、レンは小屋の扉を開いた。


そこに立っていたのは、銀髪を丁寧に撫でつけた年老いた執事だった。背筋を伸ばし、礼を取るその姿からは、長年の忠誠と気品が滲み出ていた。


「……レン様。お迎えに参りました。どうか、お屋敷にお戻りくださいませ。」


レンの顔からは、すっと感情が消えた。無表情のまま、冷たい声で答える。


「……戻るつもりはない。」


執事は驚いたように眉を動かした。


「なぜです? あの方々もお待ちしております。今からでも、すぐに支度を――」


「しきたりやら格式やら……うんざりなんだよ。」


レンは語気を強めた。


「だから俺は、貴族の身分なんてもの、捨てたんだ。」


執事は、それでも諦めきれない様子で続けた。


「……レオン様のご容態が、思わしくないのです。」


レンの目が一瞬揺れた。だがすぐに、それを押し殺すように言い放った。


「グレンがいるだろ。あいつが跡を継げばいい。」


「……グレン様では、ダメなのです。」


その一言に、レンは目を閉じて深く息を吐いた。そして、静かに、だが確かに言った。


「俺は戻らない。……帰ってくれ。」


執事は何かを言いかけたが、それを飲み込み、深々と頭を下げた。


「……承知いたしました。また……また、お伺いします。」


その背中は、年齢以上に重く見えた。やがて馬車は静かに森へと消えていった。


小屋の中に戻ると、魔剣が静かに声をかけてきた。


《……レン、そこまで声を荒げなくてもよかったんじゃないか?》


レンは壁にもたれかかり、疲れたように目を閉じた。


「わかってる。だけど……ああでもしなきゃ、自分が揺らぎそうだった。」


《……血は捨てても、記憶は消せないものだ。》


「それでも、俺は……もう、あの場所には戻れない。」


小屋の中に、再び静寂が戻った。


風が木々の間を通り抜け、どこかで葉が落ちた音がした。