なんとなく肌にしっくりくる空間、というものがある。訪れた街でも、なにかの作業をしている場でも、誰かと一緒にいる部屋の中でも。
そこで微妙な違和感を感じるのなら、そこはきっと自分がいるべき場所ではないのかもしれない。いったんすっぽり収まってしまった場所から抜け出るのは、入るときの100倍のエネルギーがいるのだけれど、もがいてもがいて、気がついたらそこから離れていたということが、これまでの人生の中で何度かある。多くは、親しげにしてくれる相手と付き合っていて、笑顔がどこか引き攣ることが多かったときだ。
もっと曖昧なのが、いま自分が踏んでいる土地に対してのことで、なんとなく合う、合わないという感覚から逃れることができない。この街が好きだ嫌いだという感覚には、はっきりした理由を求めることができない。
瀬井隆@seiryu_09冷涼な風が吹く秋の日、昔訪れたススキの丘を思い出すことがある。今日みたいな小雨の日には、雨雲に覆われた川原で色づく山を見上げていた回想も。佇んでいる自分がいちばんしっくりくる風景が、人が本当に求めている居場所なのかもしれない。都会のネオンに佇むのが好きな人もいるだろうし。
2017年10月25日 12:25
人生の最期は、どこか川の近くの草原で野たれ死ぬのかもしれない。それもまた、いい。
そういえば今日は、知人を介して初めて会う人とグラスを合わせる予定があった。その場が好きになれますように。