これはもう過ぎたことだからいまとなってはどうでも良いのだが、事の内容よりも重要なのは、自分に怒りという感情の激憤がまだ残っていたことだ。

 それほどまでに、最近はぼんやりと生きていたのである。ひそかにカラオケで18番にしている布袋さんの「POISON」の歌詞がわかるほどに。痛みもときめきもなく、時の砂にただ埋もれていた。

 

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 若いときはとかく、なんにでも夢中になりがちだ。好きなコンテンツにも与えられた仕事にも、もちろん異性にも。それがある程度分別臭い歳になってくると、自分の熱意を自分で信じられなくなってくる。好きだったコンテンツはそのときのプロモーション戦略に乗せられていたものだったり、仕事に抱いていたやりがいは単なる自己陶酔の変形だったりするの、だんだんとわかってくる。そして身も蓋もないことに、恋はたんなる性欲だったと。

 理性的になるのは身を護るには良いのかもしれないが、総じてつまらない。周りの世界に抱いていた理由もない憧れが、セピア色のセロハンテープのように剥がれ落ちていく。

 

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 いまだに世界がばら色に見えることもある。恋の渦中だ。パートナーと一分一秒でも離れたくなかったときは、陳腐な表現で申し訳ないが、吸い込む空気さえ甘かった。いまは単なる灰色の塊である街が、当時は玉手箱に見えた。一緒に食事を作るために立ち寄るスーパーは食材の宝庫だったのに、いまでは半額弁当しか目に入らない。

 

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 愚かしい、と笑う人は多いだろう。誰もがまともな生きがいを持って生きている。子供の成長だったり、家族の幸福だったり、与えられたのではなく自分で選んだ仕事だったり、第二の人生で見つけた趣味だったり。

 あいにく、僕はそのどれにも縁が無い。モノクロの世界が再び総天然色に変わるのは、おそらくまた恋をしたときだろう。鼻で笑われてもいいが、これが自分なのだから仕方がない。

 

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 盛夏。入道雲を浮かべた空は、どこまでも高く広がっている。

 しばらくはこの青一色に染まってみようか。