今年の新卒大学生の選考がそろそろ始まるとのことで、うちの息子が上京してきた。オバマさんが演説しているそばを新幹線で通り過ぎる移動は、なかなかたいへんだったようだ。

 日中はお互いいろいろと用事があるので、だいたい夜に酒を飲みながら顔を突き合わせることになる。久しぶりに空間を共有するとなると、どうも距離感が掴みにくい。数年前までは、同じ屋根の下でずっと暮らしていたというのに、


 街で時折、どこかの親が幼い子供を叱りつけている場面に出くわす。よくもそんな大声でわが子に怒鳴れるな、と思っていたのだが、ここ二、三日でなんとなくわかる気がした。子供との距離が近すぎると、無遠慮になってしまうのだ。自分とは別人格で所有物ではないと頭ではわかっているものの、どうしても自分の分身がちょこまかと悪事を振りまいているように思えてしまう。

 近親憎悪、という嫌な言葉がある。だがどちらかといえば、子供に対するネガティブな感情は、自己嫌悪に近いのではないか。あまり見たくないものを否応なしに突きつけられて、しかもその対象を愛さなければならないと本能が告げている。心が捻じ曲がりそうだ。子供との適切な距離感を理性的に保っている親なんて、実際はとても少ないのではないか。

 一緒に住んでいた頃、僕も息子に酷いことばかりしていた。それはもう重い十字架として、生涯背負わなくてはいけないと覚悟しているのだけれど。


 バラバラに壊れてしまったうちの家族は、ときどきこうやって再会する。一緒に暮らしていたときより仲が良いくらいだ。おそらく皆、気づいているのだろう。こうした距離感を保つことの大切さを。


 それにしても、身内とはいえ同じ部屋に誰かがいるとどことなく息苦しさを感じるというのは、僕は根本的に孤独を愛するようにできているらしい。家族に縛られるのが苦手な人種もいることが、もっと世の中に認知されてほしいと思う。