来週旅に出るので、道中で読む本を数冊買いに行った。

 読みたかった小説をこの機会に読むのもそうだが、いま書いている書き下ろし長編の資料も買いたかったのだ。

 ところが資料のほうは簡素すぎたり逆に専門的過ぎたりとなかなか良いのがなく、結局小説だけを買って店を出ることになった。

 かなり長時間本棚を眺めていて、ふと「本が見つからないという感覚」はもう珍しい部類に入るのだろうな、と思った。


 別にリアル書店で探さなくても、家に帰ってパソコンでAmazonのサイトを立ち上げ、検索窓にキーワードを打ち込めば、目的に近い資料が複数表示されることはわかっている。その中からあらすじを読み、レビューも参考にして、予算と相談しながらクリックすれば、明日か明後日には手元に届くのだ。結局リアル書店で見つからなかったことを考えると、そちらのほうが遙かに効率が良い。さらには、わざわざ家に帰らなくても出先でスマホからそれができるのだ。


 いずれは「本を探す」という行為は、すべてそのようになるのだろう。これからの世代は「なんでわざわざ資料を探すのに書店にいくわけ?」と、今日の僕の行動の意味も、さらには「探していた本が見つからない」という概念も理解できないことだろう。検索すれば必ず何がしかはヒットするのだから。


 だが、その世代は「本屋であれこれ迷う」楽しさを知らない。壁一面にずらっと並んだ本の背表紙を見比べてわくわくしたり、あるいはいまひとつ期待していたものがなくてがっかりすることとは無縁だ。そのときの自分の興味が向いている方向や心に引っかかっていること、さらには当日の気分や体調も含めて、気になる本につい手が伸びてしまうあの「本が呼ぶ」という感覚は、ワンクリックオーダーでは味わえないものだ。


 自分でも電子書籍を出している身だし、時代の流れに反して紙の本やリアル書店を過剰に擁護するつもりもないけれど、「探している本を実際に手にとる喜び」がいずれなくなってしまうのは、やっぱり少し寂しいなと思った次第である。

 まぁノスタルジーとひと言で済んでしまう話だと、わかってはいるのだが。