先日読んだ本の中に、こんな言葉が出てきた。どこか外国のことわざだそうだ。
「お金は君を幸福にしないが、不幸からは救ってくれる」
日が経つほどに、この言葉がじわじわときている。
たしかに自分のこれまでの半生を振り返ってみても、お金からプラスの事象を与えられたという記憶はあまりなく、代わりにマイナスから引き上げてくれたことのほうが遙かに印象に残っている。
「あー、お金があったらなぁ」とつぶやく人の多くは、そうじゃないだろうか? いい暮らしがしたいというのではなく、いまのこの困窮から救ってもらいいうときにそう思うものではないだろうか。
で、ここでひとつの問いかけが発生する。不幸でないことと幸福なことは、はたして同じなのだろうか。
違うよね。みんなわかってるはずだ。決していま不幸でなくても、なんとなく自分は幸せじゃないなぁと思ったことは、誰しもたいていあるのではないか。いわゆる満たされてないというやつだ。
生活に困らないだけのお金があって、友達もいて、好きなことは割となんでもできるけど、毎日がなんだかつまらない。そんな状態だ。
いやだな、そんなのは。
それよりは、苦しくてもいいから張り合いのある毎日がいい。お金がないことも含めて、キツくてへろへろになって、逃げ出したくなるようなことが続いても、一所懸命生きているという実感を得られるほうがいい。
それはもしかしたら不幸なのかもしれないけれど、その中で得られるちょっとした幸福、たとえばやっていることに少しだけ光明が見えてきたとか、次につながる結果が得られたとか、そうしたささやかな幸福を感じられれば、それは結構いい人生じゃないのかな。そう思ったりする。
とはいえやっぱり不幸は嫌なので、お金はあったほうがいいです。
本日のささやかな幸福。
再生野菜、まだやってます。焼酎の紙パックに土を入れて、わけぎを植えました。こうしたことが普通にできるのも、きっと幸せなのだろうな。