昨日8日に開催された、官能小説朗読「悦宴 第二夜」の客席にお邪魔してきました。
うかみ綾乃さんの第二回団鬼六賞大賞受賞作を原作とした『蝮の舌 清香篇』です。朗読は女優のやまおきあやさん、作品の重要な要素でもある筝を演奏するのは内藤みちよさんです。
開演前の舞台を見て、正直なところ「え、ここでやるの?」と思いました。客席とほとんど距離がないのは良いとして、舞台が一段高くなっているわけでもなく、奥行きがほとんどない背面は、内装そのままのコンクリート打ちっぱなしの壁面です。
しかしその壁が、いざ朗読が始まるとぐんと奥へと広がって、神社の境内や愛が交わされる家へと空間を伴って変化するのですから、朗読というものがいかにイメージを喚起させる力を持っているか、分かった気がします。
読まれたのは『蝮の舌』の冒頭部分。ヒロインの京香と妹の清香、そして京香の婚約者である宗之が、姉妹で筝の演奏を披露する行事<蝮をどり>の成功を祈願して神社に参る場面から、その後家に戻って愛を交わす二人を清香が盗み見つつ、自分も昂ぶってしまうシーンまででした。
開演前には、複数視点の三人称で書かれたこの作品をどう朗読するのだろうと思っていたのですが、その冒頭部分の視点の主である清香に「私は~」と語らせることで、違和感のない世界を作りあげていました。
とはいっても、単に主語を変えるだけではなく、清香の心情を深く掘り下げて言葉を再編成し、よりダイレクトに語らせる必要があったはずで、その再構成作業をなさった脚色家の方はおそらくとてもたいへんで、でもとても楽しかっただろうな、と推測しました。
作品を読んだ方はご存知でしょうが、妹の清香は幼い頃から清楚で美しい姉に反発や妬みといった感情を抱いており、この冒頭部分では、憧れていた従兄の宗之と彼を奪った姉に対する憤りとも呼べそうな負の心情が、全面に渡って語られます。
清香の黒い思いを吐露するやまおきさんの声は、ときに吐き捨てるようであり、ときに低く唸るようで、ぞっとするほどの凄みがありました。事前に「やまおきさんの朗読は圧巻ですよ」と聞いていたのですが、まさに圧巻も圧巻でした。
その魂の叫びに重なる筝の音の、なんと美しかったことか。激しく感情が高ぶる場面では激しくかき鳴らされ、切ない場面では泣くように爪弾かれる音色は、決して朗読を邪魔することなく、前に出てくることなく、でもしっかりと響いてくるのです。
むしろ音がやんでから、ああ今の場面は声と音色が相乗していたからこそ、あれだけの迫力に満ちていたんだなと気づかされる、そんなことが多かったです。こんな言い方が正しいかどうかわかりませんが、まさに名脇役という感想を抱きました。
聴いているときに少し思ったのが、文中にあるいわゆる官能用語、たとえばアメブロの手前カタカナ表記で書くと、「インレツ」といった単語が、そのまま読まれていたことでした。そうした言葉は漢字の字面で見るとぐっとくる喚起力を持っていて、たしかうかみさんご自身も夏の官能講座でそのことに言及していたような気がするのですが、耳で聴くと瞬時にイメージが湧きにくかったりします。
……と思っていたら、終演後のトークショーでもその話題が出て、検討の結果敢えてそのままにした、ということでした。
耳で聴いてわかりやすい言葉に代えるのも、敢えてそうしないのも、朗読のあり方としてはきっとどちらもありなのでしょう。原作の香りを残すのもまた、こうした舞台の醍醐味のひとつなのかもしれません。
男性の言葉である宗之の台詞や、官能小説では必須のオノマトペはどうするんだろうと思っていたのですが、特に声色を変えることもなくさらりと流す感じで、この朗読の本質はそんなところにはないと言われた気がしました。
“どうか二人の仲が壊れますように。その為なら私は──”
ラストシーンで、振り絞るように放たれるこの叫びの後、台詞を引き取るように筝が鳴り、そして静けさが戻ってきます。
ぞくりとしました。なんと恐ろしく、そして哀しいことか。
小説は読み手の心を揺さぶるためにありますが、声はその言葉の力をさらに増幅させ、ときにとんでもないところにまで運ぶ力を持っているんだな、と実感しました。なんというか、表現力といった生半可なものではない、凄いものにふれたような気がします。
やまおきさんに乗り移った清香の魂が、コンクリートの内側でとぐろを巻いていたのかもしれません。
その後のトークショーは、和やかに、和気あいあいと、『悦』編集長の進行によって進みました。
うかみさんのトークは和むなぁ。あのビジュアルから、関西弁のイントネーションでくだけた言葉が発せられると、妙にほっとします。演じたやまおきさんも、乗り移っていた清香はどこかへ行ったようで、まさに別人の愛らしい笑顔で楽しそうに話していました。